▼起業家File.038松本美佐さん  横浜ミサリングファクトリー主宰



(プロフィール) お菓子づくりで食を学ぶ「横浜ミサリングファクトリー」主宰

1964年大田区生まれ、横浜育ち。県立柏陽高校卒業後、服部栄養専門学校へ。卒業と同時にベルギーの和食店「田川」に就職。帰国後食品系の会社を数社経験して結婚、専業主婦に。その後離婚を機に再び職場復帰、人材派遣で働きながらフードコーディネータ資格取得後、週末起業でお菓子教室を開講。更に本格起業のために起業スクールと製菓学校で学び、’07年お菓子教室&食育コミュニティ、キッチンスタジオ「横浜ミサリングファクトリー」をOPEN。同年県のコミュニティビジネス・モデル事業にも選ばれた。創業7年目の現在「料理教室開業スクール」「個人教室向けアプリ開発(生徒管理システム」…などの事業拡張に取り組んでいる。


●幼少~就職―
大田区生まれ、横浜育ち。お菓子作りが好きな小学生時代。

ガールズバンドを結成した高校時代。そして料理専門学校へ。

 

1964年大田区蒲田で祖父が町工場を経営する実家で生まれ、その影響で今でも古い町工場の雰囲気に魅かれます。そして3歳で横浜市戸塚区(現在の泉区)に転居、当時はまだまだたくさんの自然が残っており、田んぼ、畑、山、神社などで遊ぶ子供時代を過ごしました。この頃父が自宅で小鳥屋を始めました。当時は鳥の世話のために出かけられないことが不満で小鳥もあまり好きになれませんでしたが、今ではセキセイインコを飼っていて、可愛くて仕方ないです(笑。

小学4年のとき、姉が友達からクッキーの作り方を教わって家で作ってくれた事がありましたが、自分でお菓子が作れるという事がとても衝撃的でした。それから本を買ってもらい、自分で色々なお菓子を作るようになりました。家族が喜んで食べてくれたことが嬉しくて今でも良い思い出となっています。

 

中学校ではロックに目覚め、夢中になって聴いていました。特にクイーンなどブリティッシュロックが大好きで、将来は音楽評論家になるのが夢だったような…(笑。おかげで英語が好きになり、 中学の時は人生の中で一番勉強した時期だったと思います。そして地元の県立柏陽高校へ進学、入学後は受験勉強の反動から全く勉強せず、いわゆる落ちこぼれを経験することに(苦笑。高校時代は、音楽好きが高じてバンドを結成(当時女性だけのバンドは珍しかった)して、ギターを担当しました(写真₎。

いよいよ進路を決める頃、友禅染めの職人か菓子職人になりたいと考えました。友禅染めは母が乗り気で熱心に京都の修業先まで探してくれましたが、私が家から離れる勇気がなく、結局服部栄養専門学校へ進むことに。成績がよいことが楽しく勉強も頑張りました。また都内への通学のため行動範囲が一気に広がり、様々な地方の友達ができたのも楽しかったです。 就活は、お菓子屋さんも考えましたが、当時のパテシェはまだ男の世界であり、ハードな仕事は自分には無理だと思いました。そんな時、たまたま友人に誘われ日本料理店「田川(ブリュッセル店)」への就職説明会 に参加、海外への就職選択肢は全く頭になかったのですが、説明を聞いてすっかりその気になり、即就職を決めてしまったのです(汗。  
    


●サラリーマン時代

帰国後にバブル全盛時代到来、食品企画部門の仕事に燃える‼

転職体験の疲労感から人材派遣へ、そして結婚・出産・専業主婦へ…。


ブリュッセルからは2年で帰国。’85年はバブル到来で人手不足の時代、未経験者の私でも、最初に応募した地元の製菓材料メーカーの商品企画部で採用して頂けました。小さい会社ながら優良な会社で新規部門に配属され、企画書作りから広報宣伝、営業、商品開発、展示会など本当に色々な業務を経験させて頂き、ここでの経験が現在の仕事にとても役に立っています。

その食品会社を3年勤めて退職後、専務から新会社設立メンバーにスカウトされ転職しました。アイディアを発想し企画を立てるのがとても楽しく、私の得意分野となりました。この頃世の中はとても景気が良かったので、仕事も遊びもダイナミックで楽しく、いろいろな経験ができたことはとても幸運だったと思っています。

 

ところが、入社した新会社は経営を軌道に乗せようと社員一同がんばっていたところ、会社設立2年で社長が突然病に倒れ亡くなってしまったのです。その後某商社の子会社になったのを機に退職しました。トータル7年ほどの会社勤め、色々な意味で仕事に疲れていた時期でした。この頃人材派遣という就業形態が急速に普及してきたので、しばらくは派遣で仕事をしてみようと働き始めました。そんな時結婚し子供も授かりましたので、仕事を辞め専業主婦へ…。 

 


  
  

●起業のきっかけ、決断―
離婚を機に、生きていくための仕事探しを…。

一生の仕事として「独自のお菓子教室」を開業することに…。

 

その後子供が5歳の時に離婚をしました、経済的破綻が理由です。その時お金の苦労で心底辛い思いをしましたので、「何があっても子供と自分が食べていけるだけのものを自分で稼げるようになろう‼」と固く心に誓ったのです。 コンピューターが好きだったので、IT 系の派遣でそれなりの時給で働けたのですが、派遣 はいつまでも出来ることではないと考え、一生できる仕事を模索しました。フード コーディネータに興味があり、スクールに通い資格を取得しましたが、30代半ばで子育てしながら出来る仕事ではありませんでした。正社員での就職を探しましたがそれも難しく、20代で転職が目立つ履歴書はキャリアにはならず、なんの実績にもならないことを痛感しました。スクール卒業の折、先生に「子供にお菓子作りを教えてみたら?」とアドバイスを頂きましたが、その時はあまり関心を持てずにおりました。

ところが、その時の自分の条件(年齢、子供がいること₎を考えると、他に出来そうなことが見つからず、たまたま近所に新しい地区センターがオープンし調理室が空いていたので「子供向けのお菓子教室をやってみようかな…」と思うようになりました。そして平日は派遣の仕事をしながら、週末に子供のお菓子教室「キッズファクトリー」を始めたのです。


実際に子供たちにお菓子を教え始めてみると、お菓子作りを通して様々な経験を提供できることに気が付きました。「とてもヤリガイがあるな」と感じ、これを一生の仕事にしてみようと考えたのです。ところが専用のキッチンが無いことや子供だけを対象にするのは、自分が思い描いている事業としては難しい…。そんな時大人も教えられるように、しかも既存の趣味の教室やサロン系の教室ではなく、学校のようなプロの技術を体系的に教えられる教室を作りたい…など次々と事業のアイデアが涌いてきたのです。 WWBジャパンという起業スクールで、本格的に起業の基礎を学んだうえで、製菓学校「イル・プルー・シュル・ラ・セー ヌ(代官山)」でプロの技術を身に付け、資金を貯める期間も考えて2年後の起業を目標にしました。  

 


●起業のエピソード―

やらないで後悔するよりも、チャレンジして失敗する方がいい‼
今の私があるのは、周りで応援して見守ってくれた友人たちのお陰。

 

そして「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」本科卒業のタイミングで物件を探し、開業しようと決めました。実際にはとても勇気のいることでしたが「やらないままでいると、きっといつまでもモヤモヤしてしまうし、もし失敗したとしても、人生が終わる時 に「これをやった!」と言って後悔せずに死にたい‼」と必死の思いで開業しました。 開業時には、必要な備品をリストアップして友人たちに相談したところ、たくさんの物資を届けてくださり、とても助かりました。皆さまには本当に感謝の気持ちでいっぱいです(涙。

’07年5月いよいよ念願のお菓子教室&食育コミュニティキッチンスタジオ「横浜ミサリングファクトリ ー」をオープン‼。地区センター時代からの生徒さんも半数が新しい教室にシフトして下さり、何とかスタートすることができました。そして地区センターでの実績として「日本初の子ども専門のお菓子教室」「お菓子づくりで『食』を学ぶ」という看板があったお陰で、雑誌や新聞にも取り上げて頂きました。

オープン当初から「お菓子づくりを通じて子供たちの食への関心を育てたい‼」という思いがあり、レッスンの初めに材料や道具を全て並べて名前や特徴を説明したり、「料理中に指をなめない」「水は出しっぱなしにしない」…など台所でのマナーなども教える食育のプログラムを盛り込みました。お菓子を完成させることで、子供たちが自信や達成感を得られると同時に、食への関心を高めてもらいたかったのです。小学生のレッスンからスタートしましたが、未就学児や知的障害をもつ子供対象のレッスンも試行したことで、「収益を確保しながら社会貢献につながる新しいビジネス」にあたるとして、神奈川県のコミュニティビジネスのモデル事業にも選ばれました。

ただ起業前は「お菓子教室とお菓子の販売」という事業計画を作りましたが、実際には期待したほど生徒さんの数は増えず、教室を開催しながらお菓子の販売をするには無理がありました…(涙。起業当初、毎月家賃などの固定費を支払っていくのは本当に大変でした。それでもなんとか初年度から黒字化できたのは、周囲の皆さんのご協力やご支援のお陰です。また会社員時代に企画の仕事をしていたため、法人のお客様からの仕事を受注できたことも幸いしました。 

 


●夢、今後の目標―
キッズファクトリーのような「子供がお菓子づくりで食を学べる場」を増やしたい‼
女性の個人教室起業をサポートしたい‼「tetote(テトテ₎」アプリを開発中。

現在の生徒さんは子供と大人が半々くらいの構成です。7年目でようやく教室経営単体でも安定的な運営ができるようになりました。今後は、’09 年から始めた「料理教室開業スクール」にも注力したいと思っています。 これからの目標は2つです。一つは、「キッズファクトリー」と同じように「子供がお菓子づくりで食を学べる場」をたくさん作ること。二つめは「女性の個人教室起業サポート」というカタチで「女性の経済的な自立」をお手伝いすることです。自分の経験やノウハウをこれから教室を始めたいう方のお役に立てて頂けましたら幸いです。

今、個人教室向けの生徒管理システム「tetote(テトテ)」を開発中です。これは、個人教室の先生の庶務を軽減するシステムで、教室の先生と生徒さんのコミュニケーションツ ールにもなるものです。「テトテ」を活用して、ユニークで小さいビジネスながらも、きちんと収益をあげる経営者ネットワークを作り、人と人が信頼し助けあえる楽しく豊かな社会づくりに貢献できればと考えています。将来は「テトテ」は個人教室だけではなく、個人経営者や個人店など様々な業種の方に使ってもらえるような顧客管理システムに発展させたい…など、夢が大きく膨らんでいます。

 


☆クラウドファンディングに挑戦中‼☆

テトテ開発資金調達のための「クラウドファンディング 」終了しました。皆さまの応援のお陰で目標額100万円を大きく上回ることができました。厚く御礼申し上げます(松本美沙)
 
FAAVO横浜【開催終了‼】
https://faavo.jp/yokohama/project/317
▼テトテHP
http://www.tetote-s.jp/

 



▼松本美佐さんの座右の銘

●「千里の道も⼀歩から」どんなこともとにかくコツコツと積み上げていくことが⼤切と思っています。膨大な量の仕事をこなす時に(まず目の前にあるものをひとつずつ⽚づけよう)と思うと心が落ち着きます。  

●「常に次善三善の策を考えよ」事業に失敗はつきもの。自分が思うように進まないことも沢山あります。いつも「これがもしダメだった場合はこれ」というように次の⼿を考えておくと、うまくいかなかった時も冷静に対処ができます。  

●「汝が⽴つ所を掘れ、其処に泉あり」~窮地に追い込まれた時、困った時は、⾃分の⾜下にちゃんと答えがあります。いつも足下を見るようにしています。   

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