▼起業家file.017 畑中 稔さん NPO法人日本ケアフィットサービス協会 理事長



(プロフィール概略) 
公益財団法人日本ケアフィット共育機構 理事長

1947年横須賀市生まれ。高校時代「人形劇団チロリン村」体験から人生が一変。熱い演劇志望で桐朋大学演劇科へ入学、オリジナル演劇を目指して「グループK」結成。独自のパフォーマンスアートを確立し、パリやニューヨーク修行へ。’85年㈱タキオン設立、レゲエ文化の日本普及ビジネスを展開。「レゲエ・ジャパンスプラッシュ(15年間/最大5万人)」の開催、雑誌「月刊RM」の発行で大成功。その後一転’99年NPO法人日本ケアフィットサービス協会を設立し、検定ビジネスを展開。「サービス介助士」資格は取得者10万人に。今後「防災介助士」「認知症介助士」なども本格的に展開するために、’14年4月に公益財団法人に組織変更した。


●幼少~大学、国内パフォーマンス時代ー
高校時代、チロリン村のバイトで演劇に目覚めてしまった!!
桐朋学園演劇科から、パフォーマンス集団”グループK”設立へ。

 

1947年神奈川県横須賀市に生まれる。姉・兄の3兄弟の末っ子、小中学生の頃、特に何に打ち込むとこいうこともなく、スポーツも少年野球を嗜む程度、どちらかというと虚弱体質的な体つきで、アンニュイな生活を送ってましたね。
公立受験に失敗し横浜高校へ入学しましたが、だんだん良からぬ方向へ(笑。遅刻・早退は当たり前、ロックバンド(ボーカル担当)に参加して、溜まったエネルギーは音楽にぶつけていました・・・が、すぐに解散!!(苦笑。

その頃、姉が所属する人形劇団「チロリン村(当時大船)」で、たまたまアルバイトをしたことが、私の人生を大きく変えました。何しろ演劇の世界が面白くてたまらない、自由に表現できることの魅力にハマってしまったのです。目標を俳優座に絞り、演劇を徹底的に勉強しました。ところが運悪く俳優座が運営不振に陥り、桐朋大学演劇科が引き継いだのです。どうしても桐朋大学に入りたい!! 不勉強な私では無理と考え、1年間浪人して声楽・ピアノ・基本教科の個人レッスンを受け猛勉強!!、その甲斐あって無事合格しました。入学後授業が始まり、講師陣には当時でも有名な
安部 公房さん、大江健三郎さん、平幹二郎さんなどがいらっしゃって、最初は新鮮に感じられる授業だったのですが、モダンダンスなど徐々に自分の追い求めているアートがここにはないことに気づき、授業のレベルに満足できなくなったのです。


そして同期5人の仲間でオリジナル演劇を目指す「グループK(カフカの頭文字K)」を結成。最初の公演は北鎌倉建長寺での野外公演「藪の中」、翌年は四ツ谷荒木町の料亭を貸切って「真夏の夜の夢」など、年に数回は自主公演を開催しました。また、NYのパフォーマンスガレージを主宰するリチャード・シェクナー氏(NY大学教授)を招聘してのワークショップは大好評で、日本のパフォーマンスアートに大きな衝撃と感動を集めました。
この頃から、表現として言葉の意味の空しさを覚えるようになり、セリフを止めて肉体表現を中心とするワンマンパフォーマーの道へ・・・・・・。
 

▲ニューヨークタイムズ紙(左)
▲ニューヨークタイムズ紙(左)

●パフォーマンスの時代ー
パリ、ニューヨークでの武者修行、NYでは自主公演も開催。
「ヤマハ、ホンダ、ソニー、そしてハタナカ」と絶賛された!!

 

私を国際舞台へ向けたのは、「何故パリを知らないのか?」という舞踏評論家市川雅氏のひと言でした。国内でNo1を目指すよりも、芸術の都パリで自分を試してみたい、と燃えてきました。しかも、渋谷のレストラン「ロシナンテ」の常連の皆さまが、大変有難いことにカンパをしてくださったのです。何と総額100万円を超える金額は本当に嬉しい驚きでした。
そしてフランス演劇遊学の旅へ、’74年のことです。パリでの約1年半で色々な体験をしましたが、あのピエールカルダンのオーディションも受け、ご本人を目前にして50分のパフォーマンスをご披露させて頂きました。

帰国して、自主公演を再開していると、次ぎは「何故ニューヨークを知らないのか?」というひと言。パフォーマーの本場アメリカを経験しないで、パフォーマンスは語れない、と再度海外修行へ。’78年(31歳)運良くスポンサー支援も頂けたので、念願のNYでは本格的な活動を目指して、まず80坪のロフト型の稽古場を借りました。そして公演をするための劇場探しが始まりました。まずアプローチしたのが、ロックフェラー財団・東洋芸術セレクションへのプレゼンテーション。結局「イーストビレジ・ラ・ママ・シアター」「オープンシアター・イン・ソホー」「パフォーマンスガレージ」のNYのエンターテイメント業界でも超一流の3つの舞台を自由に使える権利を頂くことができました。
そして行った自主講演は大好評で、「畑中米初デビュー」とNYタイムズ紙に掲載されたり、地元SOHO新聞では、”Yamaha, Honda, Sony, Hatanaka"とまで絶賛され、絶好調で充実した毎日でした。
  
そんな時です。評価の高かったNYでの実績により、フランスのナンシーフェスティバル遠征公演の話を頂いたのです。願ってもないビックチャンスに遠征チームの手配など準備を進めましたが、出発直前にスポンサー資金が底をつき、遠征講演は中止!! 急遽帰国することに・・・。’84年成田に到着した時はほとんど無一文状態でしたね(笑。
  

●起業のキッカケ、1回目の起業ー

NYで培った海外ネットワーク、ジャマイカに注目。
レゲエ音楽専門会社設立、日本のレゲエブームの仕掛人に!!

 

芸術に明け暮れた青春時代。パリもニューヨークも経験できましたが、一番の反省点は自分の芸術を磨くことに夢中のあまり、資金面で周りの方々に甘え過ぎていた、ということでした。 このことから自分に課したのは「まずビジネスで経済的に自立し、資金を蓄えてから新たな行動を展開する」ことでした。そして、早速ビジネスに関するマーケット調査を開始したのです。

1年近く経過したころ、生活文化をウォッチしていると、サーファー族の音楽や六本木・新宿でレゲエ音楽の流行の兆しを感じたのです。ビートルズも「80年代はレゲエの時代がやって来る」と言っていましたし、私自身もNY時代に親しんでいた音楽でしたので、早い段階で察知できました。調べてみると、レゲエの本場ジャマイカのミュージシャンの殆どは米国で契約して、地元への経済還元効果が少ないなど社会的な課題も抱えていました。それなら、ジャマイカのミュージシャンを日本初で世界に売り出すビジネスモデルが実現したら、大きく成長するかも、と閃いたのです。

更に調べるとジャマイカと直接契約した方が契約金が安かったり、日本でのレゲエブームの兆候も予想以上であったり・・・そこで’85年、急遽㈱タキオンを設立、レゲエの真夏の祭典「ジャパンスプラッシュ85(読売ランド開催)」を企画開催して、大成功を収めました。続いてレゲエ専門雑誌「月刊RM」創刊、・・・レゲエ関連マーケットは瞬く間に拡大して音楽レーベル会社まで立上げることに。時はバブル最盛期、イベント動員数は最大で5万人を記録したこともありました。
 
’97年大手企業数社と、レゲエ音楽・文化を日本発で世界に発信、音楽著作権管理と周辺ビジネスを展開する㈱タキオン・インターナショナルを設立。資本金は2億円という壮大なプロジェクトでしたが、途中頓挫してしまい、結局㈱タキオン本体が倒産という大変な事態に・・・。
 

▲サービス介助士の実技教習風景
▲サービス介助士の実技教習風景

●2回目の起業、NPOの時代ー

再度ゼロスタート、「サービス介助士」検定ビジネス!!
14年間で資格取得者は10万人、国内のスタンダードへ。

 

次なる目標を模索して世の中の動向をウォッチしてみると、「高齢者時代の到来」「介護保険スタート(’00年4月~)直前」「ケアマネージャー資格取得者拡大」・・・’99年はまさに高齢者福祉、介護の話題で沸騰していた時代でした。当時は「介護・福祉」のセミナーや勉強会が全盛で、とにかく色々参加して勉強しました。すると少しづつ判ってきたことは「介護市場」が拡大するにつれて、「介助」という新しいサービスも必要になってくることが予測され、それを手掛ける人がいない(例えば、福祉器具や介護売場は拡大しているが、その販売員は介助ノウハウがなく教育システムもない、ことが多かった)、ということでした。


厚生労働省を訪問して「介助領域の教育を事業化したい」と相談したところ「素人が今頃から考えても、もう出番はないよ!!」・・・と軽く一蹴されたことで、逆に私のビジネス魂に火が付きました。
次に経済産業省に相談した処、「介助という新しい視点の教育ノウハウで流通業・サービス業界を活性化できるのは、非常に面白い発想である」ということになったのです。その後も親身に相談に乗って頂き、名称は「サービス介助士」として「検定試験制度」を設け、その教育と検定試験を私の新法人で行うというビジネスモデルが誕生しました。そしてNPO活動促進法が施行されたばかりの時期でもあり、NPO法人日本ケアフィットサービス協会を設立することになったのです。

「サービス介助士」資格は、経済産業省の後押しもあって、流通、ホテル、交通機関(鉄道、空港、バス等)・・・など、当初から接客業の社内資格として採用して頂けました。単なる資格取得のための基礎学習やスキル習得に留まらず、介助を必要とする人の気持ちを体感することができる実習・実技を取り入れたことが、サービスの現場で直ぐに活かせると好評でした。
「サービス介助士」は資格検定を開始して14年目、カリキュラムの改変や実技指導ノウハウは充実して、国内ではNo1の座に。現在、導入企業数は800社以上。そして資格取得者10万人達成(’13年9月予定)も目前です。

 


●今後の夢・目標・生き方についてー
「サービス介助士」を世界のグローバルスタンダードへ!!
「防災介助士」「認知症介助士」・・・など介助の領域を拡大したい。

資格検定ビジネス以外にも関連ビジネスを含めると事業規模も成長し、NPO組織形態では対応しかねる規模になりました。そこで’12年「一般社団法人日本ケアフィット共育機構」を設立し、公益財団法人化を申請、異例の速さで'13年12月2日に設立認可を受けました。'14年は15周年で、事業再編の大きな節目の年になるでしょう。

「国家資格にしたら・・・」という声も頂いたりしますが、私自身は国内でしか通用しない準国家資格にするよりも、「サービス介助士」の認定証があれば世界中で通用する、そんなグローバルスタンダードな資格を目指したいのです。日本は世界でも類を見ないスピードで高齢化が進んでいます。その日本で確立した高齢者関連サービスは、世界に普及しても不思議はないと考えています。
既に、今後高齢化が急速に進むアジア地域(台湾、韓国、中国、インドなど)で、「サービス介助士」普及のプロジェクトがスタートしています。特に台湾では、行政の補助金を受ける社団法人を設立して機能し始めています。


今年8月に千代田区三崎町の新社屋に移転しました。研修ルーム、コミュニティサロン、放送スタジオなど、これまで以上に設備は充実しております。そして本社移転を機に本格的に展開したいのが、「防災介助士」「認知症介助士」「保育介助士」・・・など介助の新しい領域の教育検定です。既にカリキュラム開発や指導者育成など準備は整いましたので、これから順次展開して参ります。
 



●畑中稔、私の座右の銘  

 裸で生まれ、裸で死ぬ。

 




 

 ▽公益財団法人日本ケアフィット共育機構(サービス介助士)

 http://www.carefit.org/

 ▽防災介助士
 
http://www.fsoco.org/prevention.html

 ▽介助良品HP

 http://www.carefit.org/

 


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