▼起業家File.051 平澤さえ子さん   給食おばさんブータン王国へ行く!!


撮影:長谷部直樹
撮影:長谷部直樹

 

給食調理員31年間勤務、定年後ブータン王国に魅せられて夢の単身移住準備中。


1953年新潟県糸魚川市生まれ。高校卒業後日本電電公社(現NTT)入社、結婚を機に北海道へ。出産子育て主婦業10年を経て29歳で渋谷区給食調理員に。7つの小中学校勤務、労組調理員書記長も10年経験。2013年定年を機にブータン王国での活動を決断。お菓子教室講師、寮母など3度の滞在訪問を経て、2015年春から本格移住を目指して活動準備中。ブータンのホテルで和食レストランを開業指導の準備、現地の貧しい農家の子供たち支援のために「とうもろこしクッキー」を製造販売計画、また習得した水彩画や書道など日本の文化を伝えたい‼…など、日本とブータン王国の架け橋となれる様意欲満々です。


▲高校時代にインターハイ出場。
▲高校時代にインターハイ出場。

●幼少~就職時代―
新潟山間部の農家で育つ中、父の急死で深い悲しみを味わう。

高校時代にはスキー部に所属しインターハイにも出場‼

 

 

1953年新潟県糸魚川市山之坊村(長野県県境)、豪雪地帯の農家に生まれました。祖父母・両親・兄姉の7人大家族、田植えや稲刈り時期は家族総出で手伝ったり、タヌキ・フクロウ・鴨と戯れたり大自然の中で過ごした愉しい日々を想い出します。自宅集落には3軒しかなく、学校までは徒歩で往復1時間。冬場は豪雪のために山道を通れず迂回路で往復2時間も掛かる山間僻地でした。晴れた冬の日はスキーを担いで学校まで登り帰りには家まですべり降りることが楽しく、お陰でスキーも上達しました。小学校のクラス16名とは結局中学(分校)を卒業するまでほぼ同じメンバーでした。

 

中学分校時代はバレーボール(唯一の部活動)に熱中し、東京オリンピックで東洋の魔女が活躍した時代でもあり、回転レシーブの特訓ばかりしていました(笑。また本校での弁論大会に分校代表として出場し、ニュースで大きく取り上げられていた「日本初の心臓移植成功」について登壇発表したこともありました。そんな中2の冬のこと、父の急死という思いも寄らぬ大きな試練に見舞われました。原因は心筋梗塞と思いますが、前日に調子が悪いと言い出して早くに就寝し朝には帰らぬ人となっていたのです。あまりの突然の死に暫くは深い悲しみと淋しさから抜け出すことができませんでした。

 

高校は、市内にある県立糸魚川高校へ進学。スキー部に所属して練習に励み高校1年で新潟県代表としてインターハイへ。「回転」「大回転」「滑降」に出場しましたが全国の壁は厚く惨敗でした(涙。冬場は豪雪で電車が止まることが多いため市内の寮で生活したり、冬休みには白馬スキー場の民宿でアルバイトをしたり、村以外での生活の楽しさを経験することも多くなりました。

 

父のいない我が家では大学進学は無理かなと考え、母の希望でもある「安定した職場への就職」を…と、日本電電公社へ入社。同じ県内安塚局の電話交換手として勤務しました。民宿のアルバイト時代に知り合った先輩が同じインターハイ出場の仲間だったことから話が盛り上がり、その後も遠距離のお付き合い(彼氏は新宿在住)が続いておりましたが、入社後約1年で寿退社して結婚することに…。 


▲APMP世界コンベンションには20ケ国から参加。
▲APMP世界コンベンションには20ケ国から参加。

●結婚〜公務員時代

結婚後約10年で離婚、2人の娘とアパート暮らしに。

給食調理員の仕事との出会いで、新しい人生が拓けた!!

 

結婚の嫁ぎ先は東京ではなく、北海道・大沼町の牧場でした。主人は大学を中退して、先輩が新しく立ち上げた牧場の手伝いをしていたのです。酪農未経験の若者達が70頭の乳牛と15頭の羊の世話に明け暮れる過酷な日々、たちまち経営不振に陥り1年も持ちこたえられませんでした。
そして逃げるように主人の新宿の実家(銭湯経営)に居候することに。その後出産を機に東京杉並区に移り、2人の娘を授かり、以後10年間は専業主婦で子育てに専念しました。主人はその後寿司チェーンで独立開業し外食ブームの追い風もあって5店舗まで事業拡大し、順風満帆で幸せな時代でした。

 

そんな1982年、突然の離婚。色々ありましたがくよくよ考えることは止め、2人の娘(5歳&6歳)とアパート生活へ。まずは仕事を探さねばと必至の思いでハローワークへ。中々条件の合う仕事が見つからず苦労しましたが、タイミング良く渋谷区の学校給食調理員の臨時採用があり、たまたま主人の寿司チェーン開業の折に調理師免許を取得していた私は、縋る思いで応募。一度は不採用通知が届いたものの、辞退者が出たので滑り込みで補欠採用頂きました。給食料理員の仕事は、朝は早いですが夕方4時には帰宅できるので、子育て中の私にはドンピシャの仕事であり、また今の自分を考えると、食の基本やスキルを習得できたので、本当に運良く「天職」に巡り会えたものだと関心しております。

 

折角ご採用頂いたのだからと一生懸命働きました。その頃は調理員チームが献立、カロリー計算、仕入から調理まで幅広い業務に対応していましたので多忙な毎日でした。さらに私の場合は積極的に教室へ行って「食の大切さ」を講義したり、給食室の見学会で「素材の説明や創る楽しさ」を教えたり、本来の給食調理員の仕事を超えた活動もしていました。また学校内に畑を創って、里芋・ラディッシュ・トマト・インゲンなどを栽培したり、近所の竹林へ筍狩りや梅干し創りなどにも子ども達と楽しく挑戦しました。単に給食を創るだけでなく、子供たちと食育活動の触れ合いを通じて素敵な大人に成長して欲しいという想いがあったからです。

生徒との想い出は色々ありますが、「ごちそうさまBOYS(私の命名)」のことは今でも忘れません。元気な5人の男の子たちが、お昼に給食を食べ終えると給食室の窓越しに「今日もごちそうさまーー‼」と言って、逃げ去って行くのです(笑。半年くらい続いていたと思います。

 


▲「ブータン旅のスケッチ」個展開催(2012年4月〜6月)
▲「ブータン旅のスケッチ」個展開催(2012年4月〜6月)

●ブータンとの出会い、決断の瞬間―

初めてのアラスカ旅行に魅了され、ネパール、ブータンへ‼
自然や国民性に感動して、後半人生は此処に掛けてみたい…と。

1999年学校給食の民間委託化始まると同時に、私は労働組合渋谷調理員約100名の書記長になりました。効率化(コスト削減)の理由だけで民間委託化が進む中で、食育方針と調理員の直接雇用の重要性を訴え渋谷区は50%委託に踏みとどまるという快挙を実現しました。この功績が評価され、他地区の労働組合で講演するなど貴重な体験もさせて頂きました。労働組合の仕事も約10年間で後輩にバトンタッチして、一息付いてみると定年が近づいてきていることに気付きました。離婚後子育ての傍ら仕事に燃え、結局7つの小中学校で子供たちと触れ合い、勤務時間以外にも組合活動に燃えていた10年間でした。そして次に燃えるのもはないか?と探している自分がいたのです。

そんな時友達とアラスカに10日間の旅行に出掛けました。星野道夫さん(有名な自然・動物写真家)の写真の世界を体験してみたかったこともあり、アラスカの大自然と動物たちとの素敵な触れ合いが出来た人生初の海外旅行でした。今まで生きてきた日本の小ささを痛感し、海外への魅力に憑りつかれた大きなキッカケとなりました。続いて趣味のトレッキングが高じて、世界最高峰のチョモランマを一目見たくなりネパールへ。そして2011年に初めてブータンを訪問したのです。ブータンでは今までの旅行にはない不思議な縁を直観しました。人の優しさ、気遣い、街の色の感覚など、日本人の忘れかけていた古き良き時代のDNAのようなものが伝わってきて、心がとても癒されました。「ブータンには何かがある‼」そして残り人生をブータンに掛けてみたい‼…と。

しかしブータン王国では日本人がパック旅行以外で行く方法はほとんどありません。自由な旅行さえ出来ない環境です。そこで何が何でもブータンへ行く手段を見つけることから始めました。まず手始めに「ブータン旅のスケッチ」個展を東京で開催。水彩画は旅行に出掛けた時のために自然風景を描いてみたい‼という想いで始めた手習いだったのですが、有難いことに奈良などからお呼びが掛かり、複数個所でこの個展を開催する機会に恵まれました。そしてこれをキッカケにブータン大使館関係の方や応援してくださる方の輪が徐々に増えていったのです…。

 


▲ブータンでのお菓子教室
▲ブータンでのお菓子教室

●準備期間のエピソード―

2度の短期訪問、8ヶ月間寮母としてブータンに滞在して、

「とうもろこしクッキー販売」という夢を見つけた!!

 

ブータン王国は観光客は大歓迎なのですが、出稼ぎ移住者のビザはほとんど降りません。ブータンにとって必要とされる人のみにビザの許可が出る国です。ブータン人脈が拡がって来た2012年「パンやお菓子を高校生に教える仕事(3週間)」の求人に巡り合いました。これはチャンスと思い藁をもすがる思いでエントリーして採用されたのです。しかし、料理は得意なもののパンやお菓子は素人同然、あわてて教室に通って猛特訓したのでした(汗。

現地でご評価頂いて翌年も同じ指導員として訪問しました。日本でAEON英会話教室に通って英語もだいぶ上達してきたので、この時には現地の子供たちの生活の様子を聴く機会に恵まれ、ブータンには学校に行けない子どもが沢山いることを知りました。 ブータンでは教育費は無料ですが、制服など学校で必要なものは自分で買わなくてはなりません。制服や教科書を買えないため学校に行けない子がいることに、大きなショックを受け、私にお手伝いできることはないか?という思いが次第に募ってきました。ブータンでは私の子供時代と同じで、農家は食べるものには不自由しませんが、現金収入が非常に少ないのです。 そこでブータンで沢山作られているトウモロコシ粉のクッキーを商品化して観光客に販売し、農家にトウモロコシ粉で現金収入を…というアイデアが閃きました。

そうは言っても日本人の私のアイデアなど聞いてくれる人はいません。2014年にまたもチャンスが巡ってきました。現地の留学生寮の寮母を探しており、運良く採用されました。今度は約10ヶ月間の長期滞在です。この時に「給食おばさん ブータンへ行く」というブログを始めましたので、寮母時代の詳細はご覧頂ければ幸いです。


▲ブータンをイメージしたイラスト(平澤さえ子作)
▲ブータンをイメージしたイラスト(平澤さえ子作)

●今後の夢、目標‼

ブータンに本格的な和食や日本の文化を伝える仕事がしたい。

「とうもろこしクッキー販売」で貧しい子供たちを応援したい‼

 
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」とは、よく言ったものです。日本で色々妄想しているよりも、ブータンに長期滞在し現地の人たちとコミュニケーションすることで、色々課題が整理できたり、新しい発想が膨らんだり、夢を実現するための新しい支援者が現れるのです。あるホテルのオーナーとの素敵な出会いがありました。日本人観光客は年々増えているのに、ブータンには本格的な和食レストランがありません。和食レストランを開業するための日本人チーフを探していたのです。

その時偶々ホテルで30人分のパーティ料理を私が担当することなり、その味が好評だったので仮採用が決まりました。しかし採用条件はビザの取得、現在は根気強くビザ申請待ちの段階です。このオーナーはブータン空港のお土産店も経営しているので、夢の「とうもろこしクッキー販売」の実現もあと一歩の処まで来ています。

今はビザ取得を心待ちにしている時期ですが、準備も着々と進めています。現地の方に和食を指導するレシピを創ったり、水彩画のスキルを極めてクッキーのパッケージデザインを描いたり(右上写真)、お土産用のイラスト絵はがきを練習したり…と夢の実現に向けて妄想を膨らませながら忙しい毎日を過ごしています。これからも日本とブータンの交流や現地の方に少しでもお役に立てるよう頑張りますので、できるだけ多くの皆さまに応援頂けると嬉しいです。


▲平澤さえ子作「お土産用絵はがき」サンプル
▲平澤さえ子作「お土産用絵はがき」サンプル

 ▼深澤さえ子さんの座右の銘  『和を以て貴しとなす

人と争うエネルギーを仲良くする方向に向けたら、もっと楽しくて平和な世の中になるんだけどなぁ〜と思います。

 

趣味:俳句、水彩画、書道、スキー、テニス、登山

夢: 美味しいものを食べて笑顔になる人を増やしたい

心に残った一冊:「旅をする木(星野道夫著)」

好きな音楽:サザンオールスターズ
マイブーム:栗原はるみさんのレシピで料理を創ること
苦手なこと:計算、初対面の人と会うこと


〇ブログ「給食おばさブータンへ行く!!」 http://bhutan.blog.jp/
〇Facebook個人ページ https://www.facebook.com/megasaechan

「第22回めびうすカフェ♪」に登壇しました(2016.1.25)



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