㈱ウィルフォワード PCB事業部 プレゼン必勝‼話し方&発声法トレーナー
1975年静岡県生まれ。明治大学理工学部卒。23歳でフリーターから一念発起『劇団四季』と『気象予報士』を目指してチャレンジし、28歳でダブル合格。劇団四季では全国ツアー出演を経て、入団8年目に『人間になりたがった猫』で主役のライオネル役を務める。その過程で世界のトップクラスの演出家、音楽家、俳優から「感動」の本質を直接学ぶ。退団後、飛び込みの食品宅配大手営業職でも「伝える技術」を実践し「全社営業成績2位」を獲得。営業の世界でも舞台で培ったノウハウが活用できることが判り、講座「感動を創造する言葉の伝え方」をスタート。口コミで全国に拡がり経営者やセミナー講師、講演家など人前で話すプロに好評を博す。現在は、企業研修や講演活動で全国を飛び回っている。
●幼少~大学時代―
サッカー少年から一転、挫折、受験失敗、いいとこなしの中学時代‼
麻雀三昧の高校生活、3年から一念発起し猛勉強で明治大学合格。
1975年静岡県浜松市生まれ。会社員の父と主婦である母のもと二人兄弟の次男として誕生、父の仕事の関係で小学校1年まで熊本で過ごしました。人見知りがちな私は、いつも兄の後をくっついて歩き回り、兄の友達に可愛がってもらいながら遊んだものです。その兄がサッカーを始めたため、私も小学校に入ると真似てボールを蹴りを始めました。静岡はサッカー王国でしたので、小学時代はサッカー漬けの毎日でした。地元の部活では物足りず現ジュビロ磐田(当時ヤマハ発動機)のクラブチームにも通っていました。同期には日本代表で活躍した川口能活も…。この時、両親からは「学生の本分は勉強すること。成績が下がるのだったらサッカーはやってはいけない」という文武両道の教えを受けました。
中学生になると、小学生の頃は好きで好きで溜まらなかったサッカーも次第に熱が冷めてゆきました。というのも、成長期に入ってからも身長がほとんど伸びず、回りのスピードについていけなくなったからです。レギュラー落ちを経験して初めての挫折感を味わい、3年生の最後の大会は登録メンバーからも抹消。そしてそのまま勉強を優先して地元浜松の進学校を受験するも、失敗‼全くいいところの無い中学時代でした(苦笑。
傷心のまま私立浜松日体高等学校に入学し、進学校の受験を失敗した生徒で編成された「大学受験クラス」に入る。そこで、素晴らしい仲間に出会い受験失敗のリベンジを皆で図るのかと思いきや、麻雀にはまり日々クラスの仲間で麻雀の勉強に打ち込む。三年になって危機感を感じ、「鬼勉クラブ」を結成。仲間で一丸となり集中モードでもうこれ以上できないという位努力をし、第一志望の明治大学に合格。この努力し達成した経験は今でも「あの時あれだけ努力したのだから」と本当の努力の基準値になっています。
憧れの東京生活は、地元浜松市が運営する在京学生寮に入寮。四人一部屋というプライバシー無しの環境で4年間を過ごしました。愛と思いやりに溢れた先輩・後輩に囲まれ毎日が修学旅行状態でしたが、この寮の4年間で人間力の基礎を身に付けていきました。同じ釜の飯を食い、同じ風呂に入り、夜な夜な麻雀とギターに没頭していました。
●フリーター時代
ミュージシャンへの夢…社会から現実逃避しフリーターに…。
23歳誕生日に一念発起、劇団四季&気象予報士を目指しW合格。
’97年春、就職しないでフリーターとなりました。大学時代は、どうしたら毎日を楽しく過ごせるかしか考えておらず、音楽に熱中しすぎて気づいたら就職活動を迎えてしまったという、いわゆる将来や仕事に対する意識が薄いダメダメ学生でした(汗。大学を卒業して無職になりミュージシャンを志望したものの現実の厳しさを知ってあっさりと諦め、古いマンションの管理人室の一室を間借りして無目的な悶々とした生活が続きました。
そんなフリーター生活のなか、23歳の誕生日になった日のことです。鏡で見た自分の死んだ目をみて、「このままでは人生の落後者になってしまう」という恐怖感に襲われとにかくなにか行動することを決意しました。たまたま俳優養成所の広告が目に入り、「何かのきっかけになるのでは?」と養成所に通うことに…。そこで出会った友人から劇団四季の舞台を見に行こうと誘われ、出演者の魂の籠ったパフォーマンスに大変感銘を受けました。
そして、劇団四季でバレエの指導をしている先生が個人でやっている教室の見学に誘われ、大きな衝撃を受けたのです。夢に向かって真剣なまなざしで若者たちが美しい汗を流していました。「ここに通って自分を磨き直したい!」そんな思いからバレエを23才からスタートし、その流れで劇団四季の入団をめざすようになりました。その時、両親の文武両道の教えを想い出し気象予報士という2つの目標を掲げました。周りからは無謀とか無理とかいろいろ言われましたが、5年間諦めずに小さな成長を積み重ねた結果、28才直前で劇団四季と気象予報士試験にダブル合格することができました。
●起業の決断、起業―
劇団四季入団後の熾烈な争い、ツアー講演で全国縦断の日々。
7年目の挑戦で主役の座を射止め、苦労の末に主役を1ケ月間務める‼
劇団四季は入るのも狭き門でしたが、入団してからも大変でした。入ることより残ることの方が難しかったのです。毎日熾烈な争いがあり、成果を出せなければ半年毎の契約更新ができない‼まさにプロフェッショナルの世界でした。しかし「不器用だし、素人あがりのへたくそだけど、コツコツ地道にしっかりやっている」という評価だけで、なんとか生き残ることができました。
日本全国の子供達に本物のミュージカルを届けるというプロジェクトで日本中をツアーで廻りました。北海道から鹿児島まで日本を6周位はしたと思います。女形の役をもらい女装をし、「綺麗、素敵」と人生で初めてチヤホヤされました(笑。ただ劇団四季ではずっとその他大勢の役が多く、入団7年目に、もうこれで最後と覚悟を決め、劇団内の主役オーディションに応募することにしたのです。主役オーディションは激烈な戦いでした。でも私が応募した「人間になりたがった猫」という作品は、ずっと端役を務めていたため、セリフも歌もダンスもすべて覚えていたこともあり、主役の座を勝ち獲ることができたのです。しかし本番直前の舞台稽古で大失敗をやらかして主役から降ろされることに…。そして代役として3カ月後に再びチャンスを頂いたのですが、ここでも痙攣するほどの緊張でまたも大失敗…。
主役の座を寸前で逃して腐りかけたのですが、「そこまでやるんだったらもう一度チャンスをやるかと神様に思ってもらえるくらいにやってみろ」という言葉に出会い、あきらめないで練習を続けていたら突然主役の人に緊急事態が発生し、急遽代役で主役に抜擢。そして1カ月間主役を務めたのです。憧れであり目標だった劇団四季の主役は一見華やかな世界ではありますが、心境は断崖絶壁を命綱無しで登るような恐怖とプレッシャーで押し潰されそうになる毎日でした。ですから1ヶ月間主役を務め上げたその後は放心状態となり、まるで燃え尽きたように新たな舞台に立つ気力が消失していました。そして止む無く退団を決意…。
●起業のキッカケ―
飛込み営業では、劇団四季で学んだノウハウを工夫して実践。
全社中営業成績2位を獲得して、それが大きな自信に‼
退団直後に、幸運にも人生初めての講演依頼を受けました。ワタミの渡邉美樹氏が理事長を務める郁文館夢学園での「夢達人ライヴ」という講演です。「私はフリーターから劇団四季に入団し主役にまでなれた…どんなに他人から無謀とか無理とか言われようとも、諦めずに行動を続ければ必ず夢は叶う‼」という話に、予想を超えた反響があり私の経験を話すことが人の役に立ったことに新しい感動を覚えました。この時に講演家への夢が芽生えたのです。
しかし現実は厳しく、講演だけでは食べていけない状況でした。そのため食品宅配大手の飛び込み営業の仕事をしながら講演活動も並行していきました。華やかなスポットライトの世界から一転して、野菜を抱えて大雪の中ピンポンピンポンチャイムを押し続ける生活に…。職場の人間関係も全く上手くいかず逃げだしたい時期もありましたが、現実の社会に誠実に向き合い毎日コツコツと営業しました。そして劇団四季で培った伝える力で500名以上いる社員の中で営業部門2位という成績を収めることができたのです。
また講演活動を広めるにために出版することも考えていました。初めは私の異色の経歴があれば本の出版など楽勝だと思っていたのですが全く相手にされませんでした(苦笑。そこで原稿もタイトルもないのに「出版前に千冊仮予約集めるプロジェクト」を思いつき、思いを語り、1年かけて千冊の仮予約を集めました。しかしある出版社から「佐藤さんの伝えたい事は、佐藤さんだからできることであって一般の読者は共感しない」と一蹴されてしまったのです。しかしそこで諦めないで2倍の「2千冊仮予約する」という目標を掲げました。
講演活動は学生7名からスタートし、舞台で培ったパフォーマンス力をふんだんに取り入れて出版の想いを語ると講演は口コミで広がり2千冊の仮予約を達成し出版の夢を叶えたのです。その流れで多くの応援して下さる方と出逢い、同じ思いの仲間が集まり、プロデュースして頂きながら講演だけでなくセミナー研修事業にまで発展しています。
●今後の夢、目標‼
同じ志を共有できる研修講師を育成したい‼
個人向けの講座の展開もスタート‼などNextステップへ。
「15年以上追求してきた表現の世界と伝える技術。飛び込み営業で成果を出した経験、そして研修や講演で得た講師経験。これらが私の独自の強みです」多くの人を捲き込み成果を上げていくには志を更に研ぎ澄まして情報発信し続けるしかありません。これらを伝えて「高い伝達力を持ったスキルの高い人材を輩出する日本一の志LABO」に育てていく所存です。
劇団四季を退団してからずっと一人で活動し人生を切り拓いていました。しかし仮予約2000冊プロジェクトを達成する過程で、同じ価値観を持つ素晴らしいビジネスパートナーとの出会いがありました。そのパートナーと共にパーソナルコンテンツビジネス(PCB)という事業を立ち上げることに…。個人の特殊な経験と志をビジネスにしていこうという事業部です。マラソンの元日本代表選手など“何かを極めた”経験がある方が続々と集まってきています。私は話し方や発声法(丹田呼吸法がベース)の講師&トレーナーとしての知識やスキルアップに注力し、仲間はマーケティングや営業や企画などで支えてくれています。本当に有難くグループダイナミクスの凄さを感じる毎日です。
また、現在私の経験と伝える技術を詰め込んだ公開講座を展開しているのですが、受講生の方々が「登壇する直前に見返すことができるお守りができた」と、とても好評な五大原則があります。その冊子を電子化し無料ダウンロードできるようになりました。知識は惜しまず、それ以上の成長を求める人にはそれ以上で応えるということで配布することにしました。講師業、コンサル業、先生業の方はもちろん、経営者や政治家の方など、これから人前に登壇するという方には良いバイブルになると思います。ぜひご一読いただけましたら幸いです。
▼佐藤政樹さんの座右の銘
『明るく楽しく元気よく日々悔いなし』
昔は、「雑草魂」でした。しかし気合や根性やネガティブエネルギーだけでは長続きしないのがわかりました。がんばりすぎて挫折してしまうのです。でも今は、「明るく楽しく元気よく日々悔いなし。」自然体で自分自身が満たされるように生きて働き、周りを幸せにしていきたいです。
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