▼起業家File.043三原理絵さん  株式会社誠や 代表取締役


株式会社誠や 代表取締役    感染症予防キット”BIOPRO”&緩和ケアセラピー

1977年東京練馬区生まれ。専門学校卒業直前に父親が突然脳梗塞で1級身障者に。ローン返済を背負い急遽インセンティブ制の不動産会社に就職。その後もコールセンターや深夜バイトの掛け持ちで一家を支える。29歳で介護離職し、介護体験回顧や知人ご夫妻の介護心中に直面した時「ケアをする人のケアをする役割が重要」と気づき「セミオーダー介護サービス事業」で起業を決断。’08年㈱誠やを設立、現在は「感染症予防事業」と「緩和ケアセラピー」の2本柱で展開中。感染症予防事業は東京都の経営革新認定を受け、感染症プロテクトキットブランド「BIOPRO(バイオプロ)」としてリリース。

▲幼稚園時代の私(笑 右から3人目
▲幼稚園時代の私(笑 右から3人目

●幼少~学生時代―
運動嫌いな一人っ子、音楽や美術が好きで内気な小中時代。

バイトの接客やデザインPOPで開花……しかし突然父が脳梗塞に。

 

1977年練馬区で生まれた一人っ子。言葉少なく厳しい不器用な愛をくれる父と、子供から見てもいつも楽天的で陽気な母は、絵本・地図・お絵描き道具・おもちゃの楽器を並べ、情操教育をメインに私を育ててくれました。おかげで幼稚園の時、区の絵画コンクールで入賞。


小学生の時、校内でいじめられている子をかばい、逆にいじめに遭うことに…。あまり人と関わりたくないと思い、いじめのことを両親には事実を伝えず、一人で没頭できる書道とエレクトーンを頼み込んで習い始めました。書道は真剣に習って新聞賞を受賞するまでに上達し、大きな自信になりました。中学では、吹奏楽部に入りクラリネットを奏でることに…。入部の理由は「音楽好き」と「運動が嫌い」でしたが、肺活量を鍛えるためという理由で毎週木曜日に持久走と筋トレの日があると入部後に知り、やや後悔(苦笑。小学時代から体育の成績は安定して「2」であり、とにかく運動が苦手でした(汗。


この頃、祖母が亡くなり人生初の身内のお葬式を経験しました。同時期に家族のように可愛がっていた愛犬も病気で死亡したのです。漠然と「治す」という医療と「看取り」に興味を持つものの「もっと病院って可愛い内装にすれば良いのに、お葬式の会場ももっと明るくすればいいのに」などの理由から芸術系の進路を選択することに…。卒業時の将来の夢は「何か皆が心地よくなるものを作りたい」というとても漠然としたものでした。


都立高校のデザイン美術学科に入学。都内全域から集まった同級生のレベルの高さには驚きました。16歳の誕生日を待って、人生初のアルバイト・デパ地下のお豆腐屋さんで働き始めることに。ここで自分の接客次第でお客さんの笑顔と売上げが増える事の喜びを体験し、乾物屋をしていた母からのDNAが開花したのです。POPやディスプレイ製作に熱中していたら、いつの間にかバイト店長になり、VMD(ビジュアル・マーチャン・ダイジング)に興味を持つようになりました。

そして高校卒業後は、VMD職に就くため、専門学校の流通学科に入学。学校で得た知識をデパートのアルバイトで実践し、お客様の反応に楽しさを覚えたのでした。そして念願叶って百貨店の就職内定を頂いたものの、卒業前に父親が突然脳梗塞で倒れたのです…。私、19歳。父、56歳。母、60歳。

●社会人時代

父の介護、入院費やローン返済等が私の肩にのしかかる…。

出来高制不動産会社、夜勤掛け持ちバイト…何でも挑戦‼


父がいきなり身体障害者1級、そして母まで自暴自棄になる。運悪く生命保険の免責期間中で、住宅ローンの返済と入院費捻出を私がすることに…(汗。結局百貨店の新人給与では目途が立たず内定をお断りして、インセンティブ制の不動産会社に入社。男性ばかりの会社で、営業ツール・図面のレイアウトやモデルルームのレイアウト作成などにのめり込みながら必死で頑張りました。社長はすぐ辞めると思っていた様ですが、気付けば入社4年目の中堅社員に…(笑。


その頃、父の病状悪化にともない通院回数も増えたため、休日がとれない不動産会社をやむなく退職し、シフト制があるコールセンター業界へ転職。仕事のペースがつかめ、父の介護は母に任せられるようになると、夜勤のガソリンスタンド、仕事前の配送会社で集荷や仕分けのバイトを掛け持ちしたり…、冬に灯油を運んでギックリ腰になり、以後椎間板ヘルニアと長い付き合いになる(涙。

さらに給料の良い管理職になろうと、コールセンター立ち上げ業務のある会社に転職。しかし何故か人材派遣営業職に配属。そして1週間の出張の時、初めて父をショートステイにお願いすることに…。予定より早く帰宅できたため迎えに行くと、なんと車いすに縛られている父を目撃してしまい、母と出した答えは「在宅で2人で最期まで看よう」でした。社会人になって初めて、半月仕事を休みましたが、サボっている気がしてならず罪悪感を感じたりしました。


その後、職場復帰するもすぐに転職。今度は中堅のコールセンター運営会社に入社。現場研修の後、当時の副社長を副社長と気付かずに、休憩室で会社と社員教育について率直に改善案などをお話していたら、「三原さんならなんとかできると思う」(上司談)と、新しいコールセンター長(全員アルバイトで構成されていた職場)に抜擢されました。しかし一緒に就任した部下とともに、個性豊かなアルバイトメンバーに「ここに社員なんかいらないんですけど」と総スカンを食らうことに…。当初は指揮命令が伝わらないどころか、コミニュケーションすら取れない状況でしたが、半月程たった頃、ふと夕方の中だるみ時間に10分だけ全員が電話と仕事を止め、みんなでインスタントみそ汁を飲むことを提案。日本人なら、ホッと優しい気持ちになる「みそ汁タイム」に一縷の望みをかけてみたのです。すると1週間程して見事に定着し、センター内の雰囲気もグッと良くなり、アルバイトと社員の結束力が向上したことで、センター全体の成績もあがり、良い方向に動き出しました。そしていつしか「社内の新人研修センター」的な拠点として注目されることに…。当時の同僚との絆は深く、今でも親友です。
  

●本格起業のきっかけ、決断、起業―

「ケアをする人のケア」自分の介護体験発想からの起業。

ご遺体の2次感染防止…現場の気づきを事業へ転換‼

 

その後も紆余曲折ありましたが、父のアルツハイマー型認知症が進行して、幻覚症状や徘徊が多くなり、また母も不安から喘息発作がひどくなり体調を崩し始めたので、29歳にして介護離職し、昼夜逆転の生活に。思えば「誘っても介護と仕事で来れないから(誘うの止めよう)」と、友達からの連絡がいつの間にか無くなっていて…。そのことに気付いた時、そこから一気にネガティブ思考で不眠状態に。付かず離れず支えてくれた友人の「一度病院に行っておいで」というアドバイスで近所の心療内科へ行くと、重度の鬱病との診断が…。「私は鬱病なんかじゃない‼」と認めずにいるものの、気が付けば食事もお風呂も面倒くさく、友人達からの電話にも出られない自分がいました。

この頃初めて「早く死んでくれればいいのに…」などと、つい思ってしまう自分がいました。そして両親が寝静まった深夜のキッチンでガス栓を捻って一家心中を試みる…ガスの臭いに気付いた愛犬が吠えたことで、ハッと正気に戻りガス栓を止めたのです。父が倒れて10年目、犬を抱きかかえながら初めて声をあげて泣きました。


自らが社会的弱者となり、社会福祉や人道支援に今まで以上に興味を持ち始め、東北福祉大学社会福祉学科の通信過程に入学することに…。福祉の勉強、自分の介護体験の辛さ、知人ご夫妻が突然介護疲れで亡くなってしまったことなどが重なった時…ふと「ケアをする人のケアをする役割が必要だ!」と思ったことがポジティブ思考への大きな転機となりました。そして自分自身と家族の経験を元に「その人らしく、その家族らしく、ありのままに明るく介護を楽しむためには?」という考えから、「回想療法を交えたセミオーダー介護サービス事業」を企画して、2008年9月に「株式会社誠や」を設立することを決断したのです。


「誠や」の名称は、母が独身時代に経営していた乾物店の屋号「誠屋」に由来していて、母への少しばかりの恩返しなのです。手書きチラシの配布からスタートしましたが、経営の素人なので、当然最初から上手くいく訳もありません。ただ気が付くと本業よりも19歳からの介護経験を、認知症家族会や医療系大学などの講演会でお話しさせてもらう機会が多くなっていました。また商工会議所の視察ツアー(スウェーデン)に参加した時、認知症やうつ等の緩和ケアマッサージに出会い、早速導入しました。そして2年後には、日本では珍しい「スウェーデンハンドセラピー」のインストラクター資格を取得することに…。

この頃、父が余命宣告を受けました。父の死を現実的に考えたとき、毎日身体が冷えないようにと、やせ細った父にお布団をかけて温めているのに、「死んだらドライアイスや冷蔵庫で遺体を冷やすって、可哀想じゃない?」とふと思ったことが次の事業の転機となりました。また父やお客様の足に緩和ケアセラピーをする時、いつも水虫菌やそれ以外の感染症対策に除菌液を使っていることを思い出しました。「あれ?菌が腐敗させるんだから、これを応用すれば?」。早速葬儀社や病院へ打診して、遺体や生体からの二次感染対策を学びに、丁稚奉公へ行くことに…。ここからヒントを得て「感染症予防事業」へと発展してゆきました。

 

●起業後のエピソード―

父の死で長い長い16年の介護生活に終止符。
「感染症予防事業」が東京都の経営革新認定を受けることに‼

 

父が72歳で旅立ち、16年の介護生活が終わりました。母と「我が家らしい楽しいお葬式にしよう」と、無宗教式で「三原家の介護卒業式」、祭壇には思い出深い紫陽花を飾ってもらい、母やヘルパーさん、看護師さん、友人達とともに泣き笑いの通夜告別式でした。


父の死後、仕事の潮目が大きく変わりました。まず
約4年かけた「感染症予防事業」が東京都の経営革新認定を受け、その後すぐに感染症プロテクトキットブランド「BIOPRO(バイオプロ)」としてリリースできたのです。そして人道支援団体・オフィスビル・公共交通機関・保育園・訪問介護ステーションなどへジワジワと商品が浸透してゆきました。


海外については、3.11震災時に一緒に活動したボランティアの中にフィリピンにルーツを持つ方がいて、まずは恩返しの意味を込めてフィリピンに展開しました。次に、戦後日本の紡績産業を支えてくれていた綿花の生産地パキスタンに展開。両国は日本同様、自然災害が多い国なので、まずは衛生面で何か力になりたかったからです。


途中、社員を数名雇用したものの、自分が会社員でお給料を頂く中で社員教育をするのと、自分が経営者となってお給料を支払って社員教育をするのとでは、まったく違うと痛感しました。暫く人は雇用せず、身の丈サイズで事業をやると決めてからは、忙しくなりましたが気が楽になって逆に動きやすくなりました(苦笑。


●近況と今後の目標―
2015年2月「緩和ケアセラピーサロン」をOPEN‼
新商品のための「クラウドファンディング」に挑戦しています。

そして2015年2月、今まで出張スタイルで展開していた「緩和ケアセラピー」のリアルサロンを、オフィスの貸主さんのご厚意でオープンすることができました。「緩和ケアセラピー」は、一般的に言われているガンの痛みなどを緩和するだけではなく、生活や仕事におけるストレスや苦痛・体調不良の緩和にも役立つものです。結果的に、愛する人を失くした遺族にも効果的なので、悲嘆(グリーフ)ケアも喜ばれています。お陰様でより一層忙しくなりましたが、施術後のお客様の笑顔を直接拝見できることが何よりも嬉しく充実した毎日です。

「誠や」設立の目的は「笑顔と癒し」であり、目標は、途上国に診療所や、情操教育も含めた寺子屋を作り、健康と教育の場を贈ることです。そのための手段として、感染症予防事業「BIOPRO」と「緩和セラピー事業」を展開しているので、まず先進国で採算性をあげ、途上国できちんと次世代に受け継がれる仕組みづくりを…、と考えています。そのためには、しっかり英語をマスターして、積極的に世界に出て行きたいたいと思っています。

最後までお読みくだり有難うございます。
現在、「虫よけ」商品化の資金調達と賛同者を探すために、クラウドファンディングに挑戦中です。
4月4日「第4回めびうす多世代起業家交流フェスタ♪」にも参加予定ですので、よろしくお願いいたします。

 

▼三原理絵さんの座右の銘

「持つべきプライド、捨てるべきプライド」

誰かの為に何かを成し遂げる必要があるなら、小さな自分の小さな見栄やプライドなんて、ただのお荷物だと思うのです。

「一言芳恩・誠心誠意」

誰かに掛けられた何気ない一言に励まされ癒されることが多かったので、そのお相手に対しての恩義、もしその方に返せなくても、その方の関係者や故郷に巡り巡って、誠の心で恩を返せたらと思うのです。 …うち、「誠や」ですから^^。


〇感染症防御キット「BIOPRO」http:// www.biopro-kit.com

〇Facebook page : https://www.facebook.com/bioprokit

〇誠やブログ   http://ameblo.jp/makotoya38/

〇三原理絵FB個人ID  https://www.facebook.com/yurino.mihara


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☆認定起業アドバイザーとして活動中☆
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