▼起業家File.057 大谷由里子さん  有限会社志縁塾 代表取締役


 

元吉本興業伝説のマネージャー、「感じて・興味を持って・動く」人づくり‼

1963年奈良県生まれ。小学2年生から2年間米ダラス州在住、大阪プール学院女子高、京都ノートルダム女子大学卒業後、吉本興業株式会社に入社。 故横山やすし氏のマネージャーを皮切りに、宮川大助・花子などを次々と売り出した「伝説の女マネージャー」、’88年結婚退社、出産。’91年「プラニングオフィスSMS」、’98年「よしもとリーダーズカレッジ」、2003年「志縁塾」を次々と立ち上げる。2010年「全国・講師オーディション」をスタートし今年7回目。企業・自治体を中心に「自立・自走」の人づくりを精力的に支援する「笑いを用いた人材育成法」は、NHKスペシャルや日経新聞など多くのメディアで取り上げられ話題となっている。


▲当時流行の聖子ちゃんカット(笑
▲当時流行の聖子ちゃんカット(笑

●幼少~大学時代―

お嬢様的箱入り娘で女子高、女子大へ‼
大学からミーハー生活に一変‼就活難航も吉本興業に内定。

 
1963年奈良県大和高田市生まれ。3人姉弟の長女で箱入り娘として育てられました。父の仕事(医師)の関係で、奈良県内の橿原市、奈良市、生駒市、そして小学2年生から2年間は父の留学先であるアメリカのダラスで過ごしました。あまり記憶は定かではないのですが、家庭は厳格な生活環境だった分、外ではヤンチャで自由奔放な生活を楽しんでいたように思います。

 

子供の頃これといって打ち込んでいたものはなかったのですが、中学の時「有村塾(一風変わった学習塾)」に通い出したことで、人との繋がりの大切さを覚えました。有村塾は勉強もスパルタ式でしたが、それ以上に朝6時からの早朝歩行、乗鞍登山や自炊キャンプなどの精神修行があり、チームワークスキル形成の原点になりました。有村先生の時代に流されない教育方針や強い信念など、今でもその教育モデルは応用させてもらっています。

 

高校は父の奨めで大阪・生野にあるプール学院高校(女子高)へ進学。「プールのないプール学院」と評判で、多少恥ずかしい思いをしてました(笑。勉強はそこそこに、一応帰国子女だったこともありESSへ入部し、言わゆるお嬢様高校生活をエンジョイしてました。

 

大学進学も父の奨めで、京都にあるノートルダム女子大学英文科へ。4年間奈良の自宅からの通学でしたが、この頃からスーパーミーハーな生活が始まりました。京大のテニス&スキー(飲み会専門、汗)に入部、同志社大や立命館大男子との楽しい合コンやボーリング…など、女子高のお嬢様の生活から一変‼聖子ちゃんカット(写真)にハマトラファッション…流行トレンドを追い掛ける青春時代へまっしぐら(笑。ただ時代に流されながらも、遊ぶお金は塾(中学時代に通っていた有村塾)のアルバイトをして自分で稼ぐことは忘れませんでした。

大学卒業は85年、時代はバブル前で女子大生の就職戦線は、縁故でもない限りどしゃぶり状態でした。男女雇用機会均等法なんて、まだ無かった時代のこと。とにかく私は「親の目の届かないどこか」に就職したくて必死でした。開業医の父に従えば、就職先はとりあえず何とかなり、親もとで毎日ぶらぶらしてお見合い結婚…そんなレールに乗るなんてまっぴらゴメン!と思っていたのです。とにかく新しい人との出会いの多い会社、大学で4年間学んだ英語をカッコよく生かせる職場に憧れる楽天的な女子大生でした。

ところが、世間の壁は想像以上に厚かった。私は美人でもなければ、OBの強い一流大学出身でもなく、成績は限りなく下に近い女子大生、有名企業に拘って26社・会社訪問して全滅…(涙、就活も終盤戦を迎えていた。友人は次々と内定をもらい、彼氏との結婚や卒業旅行の話題ばかり、…10月になってもまだ決まらない‼今さら親にもすがれないし焦るばかり(汗。そんな時ふと目に留まった天下の吉本興業の新卒募集広告、関西人の血が騒ぎ「ウケ狙おうかなぁ、大好きなさんまさんとのオフィスラブの夢も話題にもなるし…」という感じで会社訪問へ。

開き直りの必死の面接。「どんな仕事でもガンバリマス‼」、片言しか喋れない英語も「勿論ペラペラです‼」などの気合いだけで一次面接を突破。役員面接でも、ひたすら明るさとヤル気を全力アピールして…運よくその年、吉本興業の内定者3人枠の一人に滑り込むことができました。これは後日談ですが、役員の反対を押し切って社長の一言で決まったらしい…(汗。

 


▲私の吉本興業時代の3年間が凝縮した本
▲私の吉本興業時代の3年間が凝縮した本

●吉本興業時代

入社即日で製作部に配属、毎日失敗の連続で鍛えられました。

「横山やすしさん」「大介&花子さん」のマネージャーに…。

 

1985年4月1日、吉本興業に入社したその日から製作部に配属、仕事の内容は舞台プロデュースと番組制作、そしてタレントのマネージャー。面白そうで、カッコよさそう、と思いましたが、社会人としてのイロハや業界特有の習慣も判らずいきなりの現場は、毎日苦悩(失敗と反省)の連続でした。朝早くから夜遅くまで超忙しい日々でしたが、今までテレビで見ていた売れっ子有名人のフォローをできることだけで嬉しくて楽しくて充実してました。

深夜番組の収録や仕事、新喜劇の稽古や打ち合わせ終わりに、みんなで打上げパーティで夜遊びをするのが大好きだったことも幸いしました。私は友達を作るのが得意だったこともあり、テレビ局のADやラジオ局の大学生バイト、広告代理店の製作担当や営業の人など、みんなでつるんで大騒ぎしながら仲良しになっていったのです。特に女子が少ない業界だったこともあり、チヤホヤしてくれることも楽しく、その日のノリにまかせて、スナック、ファミレス、麻雀…などなんでもトコトン付き合いました。


そして入社後1ケ月位で突然「横山やすしさん」の担当マネージャーに(汗。やすしさんは気性の落差が激しく、待ち合わせではいつも裏をかかれたり、タクシーの中でシバかれたり…慣れないうちは、本当にビクビクしてました。そんな中、西川きよしさんの選挙出馬や、やすしさんの徳島での緊急入院事件…など深くお付き合いするうちに、信頼してお仕事を任せて頂けるようになれたのです。やすしさんは、本当は寂しがり屋でとっても心の優しい方でした。

吉本には本当に沢山の芸人さんがいましたが、今でも忘れならないのが宮川大介・花子さんです。吉本のマネージャー約30人に対してタレントは300人位なので、よほど売れっ子でないと専属のマネージャーは付きません。その頃とてもお世話になっていた「いくよ・くるよさん」に頼まれ、当時まだ無名の大介・花子さんのマネージャーになることを自分から上司に志願しました。以前から横山さんの番組で連帯意識をもっていたテレビ局スタッフのお陰で、大介・花子さんの番組出演も徐々に増え、運も向いてきました。夫婦漫才へのネタ替え、30万円もする派手な虎柄の衣装製作、タイガースが21年ぶりの優勝で一大虎ブーム…などが大きなキッカケとなり大ブレイク。さらに大介・花子さんの初イベントをプロデュース(私にとっても初体験)をすることに…。司会は関西で超売れっ子の浜村淳さん、頭のコーナーは当選したばかりの「きよし・ヘレンの夫婦善哉」「三枝と花子のトーク」「大介といくよ・くるよのモテモテトーク」など超豪華企画、メインの「大介・花子の夫婦漫才」。そして企画はさらに膨れて「花王名人劇場」としてテレビ放映番組にまで発展したのでした。劇場は満員、番組は高視聴率で、大介・花子さんはCM起用の話も含めてスケジュールは真っ黒に。新入社員として間もない私に大きなチャンスの機会を頂き、一から手掛けてプロデュースすることの楽しさを実感すると同時に、仕事を成功させるには多くの人の協力(チームワーク)があってこそ実るのだと、本当に感謝の気持ちで一杯でした。

 


▲リーダースカレッジの舞台発表会
▲リーダースカレッジの舞台発表会

●起業のキッカケ、決断―

吉本興業を結婚退社したものの、仕事への血が騒ぐ?!

新しい仲間3人と新会社設立、吉本とのジョイント事業…。

 

’88年結婚退社後しばらくは、中学生・高校生の家庭教師をしつつ、吉本時代を振り返ったり、感じたことを文章にまとめていました(これが後に「吉本興業女マネージャー奮戦記」で出版)。吉本興業での3年間は、私にとって青春だっただけではなく、人生や仕事や生きる姿勢を教えてもらい、大きな大きな財産となりました。

2年ほど専業主婦をした後、子育てと家にいることに飽きてきた私は、吉本時代に知り合った女友達のデザイン事務所の営業を手伝うことに。最初は深く考えた訳でもなく、子供も小さかったので自由に仕事がしたかったんです。ところが私は吉本でマネージャーだったので、いつのまにか彼女をどう売るかと、マネジメントをしていたら、今までとは違う新しい仕事が舞い込んでくるようになりました(笑。

そして’91年仲間3人で企画会社プラニングオフォスSMSを設立することに。色々な企画を立ち上げましたが、バブル絶頂で大阪で花博が開催された頃は外国人のパフォーマー(大同芸人)さんが日本に増えている時期で、外国人パフォーマーを(吉本興業的に)マネジメントして、流通やデベロッパーなどの企業プロモーションに派遣する仕事が大きく伸びたり、社内報や組合報などの製作の仕事も着実に増えてゆきました。私は全国への講演や研修活動の傍ら、地域の活性化のプロデュースをするまでに仕事の幅が広がってきていましたが、バブル崩壊後の地方の元気失墜の中で、何か新しいコンテンツを時代が求めていることを感じたんです。それは「笑い、笑顔、元気…」

そこで’98年には古巣の吉本興業とのジョイントで「よしもとリーダーズカレッジ」を立ち上げます。これが私の培った経験と財産を表現した「笑いのエンターテイメント教育事業」へのキッカケとなりました。諸事情もあり吉本は教育事業を撤退することになった後「この事業はどうしても新会社を創って引き続きやりたい‼」と周囲に相談すると、なんと嬉しいことに26名の応援隊(一口100万円の出資者)が現れ、「もっと学びの楽しさを伝えたい‼」と研修会社(有)志縁塾を設立しました。吉本興業とのジョイント事業を引き継ぎ大阪で「大谷由里子のリーダースカレッジ」をスタート。そして’05年にはいよいよ東京進出。応援隊資金のお陰で京橋に自前のセミナールームを併設した事務所をオープンできたことで、その後企業や自治体研修を中心に仕事は順調に拡大してゆきました。


▲米国人脈ゼロからでもNY講演に挑戦できた(笑
▲米国人脈ゼロからでもNY講演に挑戦できた(笑

●起業後のエピソード―

夢のNY講演の実現、「全国・講師オーディション」
プロデューサーをプロデュースする教育事業へ‼

 

海外講演のキッカケは2007年の暮れ、伊豆のダイエット道場でした。ニューヨーク(NY)の人脈はほぼゼロ。NYでの知名度は全くゼロ。カバンは少々(今回は、かなり持ち出し)。「来年は、ニューヨークに行きたいなぁ…。リーダーズカレッジの卒業生(愛称マッキー)はNYで就職したようだし…。マッキーに会いたいなぁ…。」こんな一言から新たな挑戦がスタートし、なんと2008年9月20日NYヒルトンホテルにて人生初の海外講演を行いました。そして海外挑戦シリーズは、’10年にはLAとサンディエゴ、’12年にはカナダ・トロント大学での海外講演にステップアップしました。
「笑いと感動は世界へ通ず‼by Yuriko」

また’10年には経済産業省と神戸学院大学から委託を受け「ユニバーサルサービス・アドバイザー養成講座」にて、講師の育成を担うことに。このカリキュラム開発のプロセスで養成講座はかなりアカデミックな要素を取り入れることができ、講師育成プログラムがさらにステップアップしました。同年には、TSUTAYAビジネスカレッジ「第1回全国・講師オーディション」にて講師育成と審査委員長を務めることに。「100年後に残したい話」’12年からはカタチは変化しながらも賞金100万円に増額、今年は第7回目を迎えるイベント(本選は12月17日)に成長しオーディションに関心を寄せる人は1万人規模へ、毎年超元気で感動的なグランプリ受賞者を輩出しています。

’05年にスタートした「新春・特別講演会」は、6年目の’11年に入場者累計が1万人を突破。正月恒例の元気スタートダッシュのための定番講演会として定着してきました。そんなこんな色々な企業や自治体の企画オファーに対応したり、自ら挑戦したりしたことが、「笑いを用いたユニークな人材活用報」としてマスコミに多数取り上げられ、クチコミで更に広がってきています。



▲2016本選は12月17日きゅりあん大井町にて開催予定
▲2016本選は12月17日きゅりあん大井町にて開催予定

●今後の夢、目標‼

 志のある人をつくり、縁を繋ぎたい‼
「感じて、興味を持って、動く」人づくり‼

 

 志縁塾は「志のある人をつくりたい」「志のある人を縁でつなぎたい」「志のある人をサポートしたい」…そんな思いを込めて作った会社。やりたいことはただ一つ「どんな時でも、ココロの元気だけは失わない人づくり」、だって自分のココロが元気じゃないのに、人のことは考えられない。そのために身に付けて欲しいのが「人間力」。今思うと吉本の芸人が持っていたものも、私が吉本から教えられたのも「人間力」でした。いろんな人を認める。いろんな人の価値観を知ってまとめる。自分で答えを探して、自分で目標を見つけて、自分でカタチにする。人生はこの繰り返しが延々と続くゲームみたいなもの。この私だって出来るんだから、皆さんにできないはずがない。どうせやるならケセラセラ…と笑って楽しくチャレンジしたいものです。

私の伝えたいことを書き綴っていたらいつの間にか著書が30冊に。中でも「講師を頼まれたら読む本」は5万人以上の方に読まれています。現在私は講演や研修をプロデュースするかたわら、自らも講演・研修の講師として、人前で話しをさせてもらっています。また、「志のある人を世に紹介したい」という思いから「忘れられない講師になる!【講師塾】」を主宰し、多くの講師の方にそのノウハウを伝えてきました。プロアマ問わず、心構えからすぐに使える技術まで、私が体当たりの実体験から得た内容が詰まっています。

また異色の挑戦といえば、’12年に坂本光司先生(法政大学大学院政策創造研究科教授)のご講演を聴いて超感動し、無性に坂本先生の元で学びたくなり’13年法政大学大学院に入学しました。仕事をしながらの修士課程はキツかったですが、若い現役院生と議論をしたり、アカデミックなアプローチで研究することが、ビジネスの現場と比べてとても新鮮で、ここでも授業をエンジョイしていました。途中増淵敏之先生(コンテンツツーリズム学会会長)に浮気しての転ゼミもありましたが(笑、何とか4年掛けて卒業できました。日本の国際化の流れの中で、インバウンドのコンテンツツーリズムを地方創生や活性化の新しい原動力にしたい‼と現在多方面で色々な仕掛けをワクワクしながら画策中です。

以上、志縁塾の活動は今後も新しい挑戦を通じて「感じて、興味を持って、動く」人づくり(イノベーター人財の育成)、仕組みづくりに磨きをかけて参ります。長い文章をお読み頂き有難うございました。


 
▼大谷由里子さんの座右の銘 
 
人生に終わりなんてない、あるのは始まりだけである

 

高校生の時、北山修さんにハマりました。その北山修さんのエッセイの中の言葉です。落ち込んだ時、つまづいた時はこの言葉を思い出します。 



〇志縁塾ホームページ  
 http://www.shienjuku.com/
〇大谷由里子公式サイト ケセラセラ 

 http://www.yuriko-otani.com/
〇リーダーズ・カレッジ
 http://www.shienjuku.com/leaders_college/
○第7回全国・講師オーディション2016
 https://akoshi.com/
○大谷由里子Facebook個人アカウント
 https://www.facebook.com/yuriko.otani.9



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