(プロフィール)
1959年福井県勝山市生まれ。福井県立短大経営学科卒業後、税理士を目指して上京。水道橋の蕎麦屋で住込バイトをしながら2年間で税理士試験合格。大原簿記学校講師、高津会計事務所、アパレル会社経理部長を経て、27歳で税理士登録、'89年30歳の時、埼玉県富士見市にて鳥山会計事務所を本格開業。
バブル後財テクで2億円以上の損失を出したが、従業員や仲間の支えで乗り切り、財務会計部と健全な不動産事業部とのバランス経営で事業拡大。'13年「税理士法人鳥山会計」に組織変更し中長期計画を発表、「闘う税理士」を標榜し、現在顧客先840社、グループ従業員数45名、不動産管理物件数40棟、池袋オフィス開設・・・と日々奮闘中!! 「早い・安い・正確にそして感じよく」をモットーに、土日や平日夜8時迄営業・・・など業界常識にとらわれない税務サービスを提供している。
●幼少~学生時代ー
運動ダメ、勉強ダメ、イジメられっ子だった小中時代。
商業科入学で一転、成績はトップクラス、級長、弓道部部長に・・・。
1959年福井県勝山市、農業と酪農家の次男に生まれる。貧しい生活でしたが、小学5年生の時両親がよろづや商店を始め、繁盛し始める。店番が楽しみのひとつで、この頃商才の素養が芽生えたんだと思います。小学校では成績が悪く、身長も低く、運動神経も悪い、泣き虫だったためよくイジメにあいました。中学校は野球部に入るもセンスがなく退部、成績も振るわず、どちらかというとネクラなタイプでした(苦笑。
ところが、勝山高校商業科に入って人生が一転します。商業科目が肌に合い、すぐに成績がトップクラスに。特に簿記会計が得意で、2年からは級長、弓道部でも部長に。大学は福井県立短大経営学科へ推薦入学。サッカー部では、弱小チームでありましたが持ち前のしぶとさで守りの要となったり、当時流行りのユースホステルクラブでも部長となり、全国の旅を楽しみました。
税理士を目指すキッカケは、「私の実家が、丼勘定も覚束ないような商売をしていたため、経理を勉強しようと高校は商業科、短大は経営学科に進学。その過程で税理士という仕事に興味を持つようになり、税理士になれば、経営者と親しく接することができ、一番儲かる商売を見つけられるかも知れない」と考えたからでした。
東京の大原簿記専門学校への進学を決め、学費を稼ぐために水道橋のお蕎麦屋さんの住込みアルバイトをすることに・・・。短大卒業後ギターと所持金8万円とわずかの衣類をもって上京、3畳の部屋で住込み生活スタートしました。朝8時から3時までは蕎麦屋で調理、皿洗い、雑用の仕事。午後3時半から6時までは講義の予習。9時半までが専門学校での講義。その後復習時間・・・と規則正しく遊ぶ時間もない生活は、意志の弱い私にとっては効果的な環境でした。ただ日曜の午後だけは、思いっきり遊んで、ストレスを発散しましたけど(笑。蕎麦屋の旦那さんや周囲の方々からもご理解とご厚情を頂けたことに、今でも深く感謝いたしております。
●独立起業への準備ー
会計事務所での税理士修行、
アパレル会社での経理実務では、数千万円の不渡手形処理も・・・。
晴れて蕎麦屋さんを卒業できる大義名分もでき、翌年4月から赤羽に引っ越して、大原簿記学校の日商1級受験科講師になりました、23歳の時です。1年間商業簿記会計学を教え、人脈の輪を拡げてゆきました。
24歳のとき、税理士修行のために三軒茶屋の高津会計事務所へ。最初の確定申告では担当を50件もやり、新婚なのに泊まり込みで1か月も家に帰れないハードな生活でした。2回の確定申告の経験から確定申告のノウハウは蓄積し、法人税・所得税は1年のサイクルで覚え、相続・贈与・譲渡はケースバイケースでその都度打破してノウハウを自分が創るしかないこと等を学びました。この事務所で仕事を任され鍛えられたことが27歳で税理士登録・30歳で完全独立の原動力になったのだと思います。
次にアパレル会社・㈱ドンナの経理部長に就きました。2つ年上の社長さんは税理士簿記論の勉強仲間で、以前から私のことを気に掛けてくれていてご縁を頂きました。女性向け下着メーカーで訪問販売用のボディースーツを企画製造販売する会社で、半端なサイズの大量の在庫処分に苦労したり、数千万円不渡りで連鎖倒産の危機に逢ったり・・・、その度に全社一丸となって乗り切ることができ、私にとって本当に生きた経営が身に付いた貴重な期間でした。
●税理士登録、本格起業ー
'89年30歳で税理士本格起業、時代はバブル期に。
財テクの損失2億円超から得たものは・・・。
27歳のとき、栃木税務署管内で税理士登録をし開業。妻の父親が所有していた栃木県大平町の一戸建てを借りて住むこととなり、㈱ドンナへ2時間通勤の2足のわらじ生活が暫く続きました。ただし栃木は本当に産業の動きが悪く、1件の顧問先も持てずにいました・・・。(苦笑。
30歳で本格的な独立起業、東京方面での顧問先は10件を超え、自宅兼事務所を埼玉県富士見市に移しました。当時から“あなたの立場で最適なアドバイス”をモットーにして、分かりやすく親身な体当たり精神が幸いし、顧問先はどんどん増えていきました。宅地建物取引主任者にも合格し、'89年に不動産業登録も。バブル全盛期で財テクをやらない奴はバカだという風潮の時代でした。私もバブル崩壊で、株・不動産・商品相場で痛い目にあいました。その後も情の深さが災いし、顧問先に数千万円も貸して返してもらえないとか・・・・(汗。その他株式・商品・FXなどへの投資も含めて合計2億円以上の損失を出しましたが、良い従業員と仲間に恵まれ、必至に働くことで何とか乗り切りることができました。もし私が5年早く生まれていたら猪突猛進で損失額は数倍になり自己破産していたことでしょう(大汗。
そのプロセスで常に「実践する税理士」を重視してきました。顧問先やお客様へのコンサルティングをするためには、「経営」に関しても「投資」に関しても、「まず自分で実際に体験してからでなければお客様に何も語ることができない」という信念がありましたので、様々な業種のビジネスにチャレンジしたり、あらゆる金融商品を購入しながら、我が身を以って「成功と失敗」や「リスクとリターン」を学んできました。事実私自身も2度の税務調査を受け苦い思いを体験しています(笑。
それゆえ現在は、顧問先840社、グループ従業員45名、税理士法人や不動産会社などのグループ会社10社までに成長することができました。この間に土日営業や平日夜8時迄という営業スタイルを確立し、「早い・安い・正確に・そして感じよく、一生づきあい、運命共同体精神」という社風を確立してきました。
●税理士法人化ー
不動産業との両輪でバランス経営を実践拡大・・・。
'13年12月税理士法人化、池袋オフィスOPEN!!
税理士業は今では天職と思えるようになりました。税理士は士業の中でも情報が集まる中心であり、自分の考えでビジネスを決められるので私の性格にピッタリでした。自分ならどうする?どう経営する?という真剣勝負の自問自答を続けていくうちに、自分も経営者の視点から顧問先の状況を考慮し、かつ客観的にアドバイスができるようになりました。
「一番儲かる商売は?」の答えも見えてきました。不動産業だなと思っていましたが、バブル崩壊・リーマンショックで分かったことは、不動産業の中でも賃貸と管理は賃借人がいる限り不滅のビジネスであり、お客様からの家賃収益で不動産が手に入ること、これぞ最も確実に利益が得られるビジネスだと確信したのです。休みなく、手間をかけずに収入を生み出すもの、それは、家賃・利子です。近年は賃貸不動産36億円、借入金26億円、家賃収入年間3億5千万円とスケールアップしたおかげで、不動産賃貸業のお客様が会計事務所のお客様になって下さる、という好循環ができてきています。
税理士法人化は5年位前から準備を始め、'13年12月税理士3名体制で「税理士法人鳥山会計」に組織変更しました。そして同時に池袋オフィスの開設。会社が所有するビルの1Fが空き、事業拡大・人材募集に有利な立地であったからです。
●これからの夢・目標ー
書籍「闘う税理士、税理士大家さん」を'13年夏に発刊。
当面の顧客数目標は1000件、6年後は1500件目標!!
近江商人の経営哲学で有名な「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」に習って、「闘う税理士」の基本姿勢は「お客様よし、税務署よし、税理士よし」の三方よしです。私の長年の失敗&成功体験や数多くの案件事例の蓄積によって、トラブルや不安を抱えられたお客様のお気持ちは、とてもよく理解できます。また一方で税務署担当の方の立場もよく理解できますので、税理士としての専門性と公平性を加味しながら、お客様の最大限有利な結果に導くのが「闘う税理士」のミッションです。
今後は益々「お客様の『命』→『生・老・病・死』を共にサポートするための『運命共同体』づくり」に精進して参ります。「鳥山グループに相談したら、何でも問題を解決してくれるよ」と、お客様に仰って頂ける会計グループにすることが目標です。また3年後には事務所開業30周年を控えており、それまでに顧問先1,000件を達成し、「志木のベルセゾン」で盛大にパーティを開催することが当面の目標です。さらに6年後の60歳で後継者へバトンタッチする時迄には、顧問先1,500件達成と本社機能を池袋の富士ビル(自社物件150坪フロア)に移し、いよいよ都内に進出したいと考えています。
●鳥山昌則さんの座右の銘
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」
実家が稲作農家で毎年黄金の稲穂をつける有り難さを見てきました。この謙虚さを忘れることなく、日々プロフェッショナルとしてスキルを磨き、精進することを誓います。そして税理士としての「士」の精神=サムライスピリッツを忘れることなく、お客様のお悩みや苦しみの「問題解決」を迎える日まで精一杯尽力します。
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