▼起業家File.060 和田篤幸さん(72歳) キワミ株式会社 代表取締役社長

 

飲んだ瞬間違いがわかる‼エキストラバージンオリーブ100%『極実オリーブ』

1944年岐阜県生まれ。早稲田大学第一政経学部卒業後、ゼネラルフーヅ㈱に入社(現㈱AGF)し、関連会社社長・取締役東京支店長などを歴任し60歳で定年退職。その後地方食品系会社数社に再就職。68歳で肝臓癌のため切除手術を受け1ケ月入院。人生を振り返り、人のために感謝しながら生きることを決意。70歳でオリーブオイルの虜になり、独自配合のエキストラバージンオリーブ完全100%の「極実オリーブ」を製造会社と開発し、71歳でキワミ株式会社を設立。ほかオリーブの自然化粧品を中心にラインナップしてクチコミ型通信販売を展開。お客さまのために何でも果敢にチャレンジして東奔西走中。

 

▲800Mリレー全国4位(昭和34年)
▲800Mリレー全国4位(昭和34年)

●幼少~大学時代―

走るのが得意でNHK全国放送中学陸上の岐阜県1位、全国4位に‼
マスコミ志望のはずが、外資系食品メーカーに就職…。

 

1944年岐阜市で4人兄弟の次男として生まれました。モノ心ついたのは戦後の復興期で、木炭車や馬車が小学校の通学路を行き交う田舎町。実家では、祖父母や両親が農業の傍ら、和傘の内職を夜遅くまでしていました。天気が良い時は、蛇の目傘を乾燥させるために狭い庭に傘を拡げて干し、庭一杯に花が咲いたように綺麗だったことを思い出します。戦前父は市内電車(ちんちん電車)の運転手、母は市役所の初代電話交換手として、ハイカラさん同士の結婚でしたが、戦争で生活は一変したようです。おやつなんて無い時代で、小学校の給食に出るコッペパンやマーガリンが本当に美味しく、給食が一番の楽しみの時代でした。

 

私は小さい頃から中学まで、背が高く、体格が人一倍大きくて、駆けっこが大好き、近所や小学校の「ガキ大将」的な存在だったようです(笑。運動会の短距離走クラス対抗リレーでは、いつも活躍していました。また生まれつき左利きでしたが、小学校1年の時から、字と箸を右手で使うように強制されたため、それ以来字を書くことが大嫌いに…。

 

中学校は、1学年12クラス(650人)で岐阜市内最大規模の中学校でした。陸上部に在籍していましたが、まじめな部員ではなく、一生懸命部活をした記憶がありません。それでも中学3年(昭和34年)の時NHK全国放送陸上大会では、800mリレーで岐阜県1位になり全国で4位の成績を収めました。ただ4人の中で私のタイムが一番遅く、仲間のチームワークに助けられた感は否めません(汗。学内でもリレー、バスケット、ソフトボール、バレーなどのクラス対抗試合では、すべての種目の代表選手になり優勝常連クラスでした。

 
高校は、家から自転車で20分位で通える県立岐阜高校へ進学。小さい頃からの夢は、飛行機のパイロット、一等航海士でしたが、裸眼視力0.7の視力検査で基準に満たないと判り早々に断念、変わって新聞記者への憧れが強くなりました。高校3年の夏まで、陸上部に在籍しており、3年時は陸上部部長をしていました。大学は新聞記者志望で、早稲田大学を目標にしました。担任の先生からは「和田君の成績では難しい‼」と言われたことで逆に発奮して、3年の夏休みから入学試験科目を猛勉強することに…。クーラーもない時代猛暑の中で勉強が手につかず、長野県小諸市の知人宅に下宿させてもらい、集中して受験勉強に取り組むことができました。夏休み明けの模擬試験では、早大第一政経の合格圏内判定がでて、ホッとしたことを記憶しています。

 

1963年春、念願の早稲田大学第一政経学部に入学、憧れていた東京での学生生活がスタート。住まいは赤羽の間借下宿4畳半、アルバイトは家庭教師や高級中華料理店の店員を週2日位、麻雀もよくやりましたが、授業は結構まじめに出席していました。学内では「学費値上げ反対闘争」が華やかな時代でしたが、授業に出られないようにバリケードすることは、矛盾していると考えていました。いわゆる、ノンポリです。3年時には、友人たちと「野歩の会」という山の会の同好会を立ち上げることに。本格的登山の山岳会ではなく、歩こう会的な一般的な登山を楽しむ山の会でした。一般登山ルートですが、今でも当時の仲間は活発に山行しています。 

  

就活は、第一志望の新聞社が全滅(涙、そしてゼミの先生から紹介された金融関係も不合格に…。1967年は資本自由化の年で、外資系会社の求人募集が増えた時期でした。八方塞がりから興味本位で外資系メーカーに応募してみると、運よくゼネラルフーヅ㈱の内定を頂くことができたのです。

 

●サラリーマン時代

外資系の入社後OJTでいきなりの飛込営業で鍛えられる。

関連子会社で増収増益の実績を挙げ取締役昇格東京支店長に復帰‼

 

1967年春ゼネラルフーヅ㈱に入社後、すぐに受けた新人教育に驚きました。新人教育の内容は、飛び込み営業です。毎日、酒屋さんや乾物屋さんへの、サンプル持参の、足を使った新規店開拓営業でした。1日に20件のお店リスト店をもらい、地図だけを頼りに飛び込み営業をしまくりました。最初に頂いた酒店さんからの注文の感激は、今でも鮮やかに思い出します。

 

営業3年目の時イトーヨーカドー本部(まだ27店舗位)など重要な企業の本社担当をしました。外資100%だからこそできた、若い時の営業経験でした。外資系の企業文化には色々驚くことが多かったのですが、当時のGF経営トップは、短期業績をいかに上げるかが最大関心事で、現場では成績を上げるために決算期に卸店への押し込み販売が常態化して、問題を先送りし徐々に市場在庫量が膨れ、業績が悪化してゆきました。そして1973年8月味の素が資本参加し、味の素ゼネラルフーヅ(AGF)となることに…。味の素出身の社長や経営トップには、外資のトップしか知らなかった私にはとても新鮮で、かつ、社会人としても、人間的にも学ぶべきところが多かったように思います。同期入社の数人が離職しましたが、私は良い勉強の機会と思ってAGFに残る事に決めました。

 

千葉営業所長、大阪営業1課長、鈴鹿工場総務課長、東京支店次長、広域営業部長と順調に、キャリアを積んできましたが、’91年突然新会社プロジェクトチーム長に任命されました。その当時としては、ニッチな、全国横断的な顧客を得意先対象とするAGFSP社を新設し、私がその責任者・社長に就任することに…。社長といっても17名の出向者のうち私の年齢は下から3番目、高齢者が働き甲斐を持てる会社づくりという、労務的目的も持っていました。発足当初の販売実績額27億円からスタートしましたが、仏事を含んだギフトルートや、オフイス通販ルートの市場拡大にも恵まれ、3年後には42億円の販売になりました。

 

左遷的な意味を含むGFSP社への出向でしたが、想定外の実績を上げたことにより、本社へ復帰し取締役東京支店長に抜擢。6年間取締役東京支店長を務めた後、再度AGFSPの社長就任。2004年満60歳で役員定年で退職しました。

 

その後、AGFSP社時代からギフト事業でお付き合いがあったドウシシャのギフト事業の事業拡大、成長に自分も参加したく、ギフト事業部顧問として常勤勤務。関東地区のマルエツ、オギノ、ツルヤ等のスーパーへの取り扱い拡大と仏事ルートへの販売拡大に取り組みました。

 

また65歳から3年間は、AGF鈴鹿工場勤務時代の協力会社である人材派遣会社に顧問として入社。人材派遣先、業務受託先会社への営業と労務関係の業務を担当する傍らで、鈴鹿市と鈴鹿山麓の「鈴鹿かぶせ茶」を原料とした、鈴鹿抹茶ブランド化研究会の初代事務局長を務めました。研究会の主要メンバーであるAGF出身者として、市関係者や市内商工業者の協力を得て推進し、現在も順調に鈴鹿市ブランドとして拡大中です。

▲1920年代の島村オリーブ園風景
▲1920年代の島村オリーブ園風景

●起業のキッカケ、決断―

68歳で「肝臓ガン」と診断、手術と1ケ月の入院。

新しい自分の生き方を発見、起業で社会貢献を実践‼

 

2012年2月、鈴鹿単身赴任中に肝臓癌が見つかりました。すぐに地元病院で手術、肝臓を1/2程度切除し1ケ月ほど入院しました。

これまで健康体であることを前提として、猪突猛進働き続けてきただけに、初めての大病はショックでした。そしてこの入院が私にとって人生を振り返るよい機会となったのです。癌の件だけでなく、思い起こせば、これまでの人生の中には、生命にかかわるような出来事が一杯あったことに気付き、生き長らえている私が何かすべき使命があるように感じました。幸いにもその後の転移は視られず、現在も鈴鹿の病院で経過観察を受けています。

 

そして次の赴任地和歌山で勤務している時、さらに奇跡的な出会いがありました。2014年知人の紹介で、㈱シマムラの6代目島村不二夫社長と出会い、一瞬でバージンオリーブオイルの世界に魅せられました。㈱シマムラは紀州の油商として1842年創業、1920年に日本で初めて小豆島で民間のオリーブ園を開設(政府払下げ1号)した歴史のある会社で、日本のオリーブ産業のパイオニアです。私のグループ親会社のオリーブオイルとは比べ物にならないほど美味しいエキストラバージンオリーブオイルの魅力に嵌り込んでしまいました。 そして毎朝オリーブ油を飲んでいる日野原先生の事を知り、「オリーブの美味しさと健康について勉強して、もっと世の中にオリーブの恵みと生命力を届ける」ことが、自分のこれからの生きる意味と確信したのです。

 

●起業後のエピソード―

ホンモノのエキストラバージンオリーブオイルを創りたい‼

起死回生、同志の賛同を得て商品開発も順調に。

私は「こんなに美味しいオリーブオイル100%の食用油を創りたい‼」の想いでシマムラさんとエキストラバージン100%の試作品創りに取り組み、昔の取引先であり、以来お付き合いをしている2社の若い友人から高い評価を頂き、商品開発と取扱いの協力を得られることがほぼ確実となった時、私は起業を決断したのです。島村社長や、開発担当者も東京で集まり、2社の若い友人(2社の仕入担当役員)を加え、具体的商品開発を進めました。

日本にはエキストラバージンオリーブオイル表示に関する法律がない(現状ではバージンオリーブオイルが少しでも入っていれば「バージンオリーブオイル」と表示できる)上に、海外産の安いオリーブオイルが普及し、値段の高い本物(エキストラバージン100%)を造っても、販売が難しいというのが業界の常識になっています。今回㈱シマムラのご協力のもと、エキストラバージンだけ(100%)の本物のオリーブオイル「極実オリーブオイル」を製造して頂き、リーズナブルな価格で消費者にお届けすることを、キワミ株式会社の目的としました。

神話や伝説に謳われたオリーブオイルの効能が、近年医学的科学的に解明されつつあります。高齢化する社会、ストレスの多い現代人に、オリーブオイルの生命力、自然の恵みをお届けするのが、キワミ株式会社のミッションです。

●今後の夢、目標‼
 目指せ!!安心安全で身体に良いオリーブ関連商品の開発
 お客様の声に耳を傾け、良いことは何でもチャンレジ‼

 

オリーブオイルに惚れ込んでいる事、そして、オリーブの生命力や恵みをもっと多くの人に知ってもらい、オリーブで多くの人が、健康で質の高い日野原先生のような生活を送る事を、自分自身も含め本気で願っています。オリーブのフアン、仲間を増やし、一緒に商品開発と販売をし、オリーブの偽装や偽物が横行しているブラックなマーケットを変えてゆくのが、これからの使命と確信しています。


特に超高齢化社会が到来する日本においては、健康長寿のための高品質オリーブオイルを普及させたいと考えています。店舗での販売よりも、シニアコミュニティでの試飲やクチコミ紹介、愛用ユーザー様の声を通して安心安全&高品質を訴求したインターネット販売を中心に展開して参ります。

 

お客様を必死に想いながら、お取引先、お客様の意見を聞き、良いと思う事は、何でもチャレンジして参りたいと思います。ご興味ある方がいらっしゃいましたら試飲会等の開催も調整させて頂きますので、ぜひ応援のご協力の機会を賜りましたら幸いです。長い文章をお読み頂き誠に有難うございました。

 

▲鈴鹿にて長男家族と
▲鈴鹿にて長男家族と

 ▼和田篤幸さんの座右の銘 
『笑う門に福来る。全てに感謝

癌の手術以来人生が一変しました。それまで自己中心的で「俺が俺が」の世界観から、「神の恵みの中で生命を全うさせて頂く」世界観に変ってきたと思っています。また友人の紹介で教会に行き、聖書を読み、大きな意思の存在を確信するようになり2014年4月70歳の時に洗礼を受けました。まだまだとは思いますが、「何時でも喜び、絶えず祈り,どんなことも感謝できるように」少しづつ歩めていると実感します。


〇キワミ株式会社通販サイト 
 http://kiwami-olive.com/

○和田篤幸さんFaceook個人アカウント
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☆認定起業アドバイザーとして活動中☆
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