▼起業家file.011 柳沼 正秀さん ライフデザイン21事務所 代表


(プロフィール概略) 
ファイナンシャル・プランナー(CFP)/キャリアカウンセラー(CDA)

1948年埼玉県生まれ。野球・陸上・テニスなどスポーツ好きな少年時代、将棋は幼少から始め生涯の趣味に。中学の先生を目指して早稲田大学教育学部へ進学。30職種以上のアルバイトを経験し、そのひとつ「ゴヤ展」のアルバイトがきっかけで毎日新聞へ入社することに。
入社後は「毎日Weekly創刊」、「英米の短期留学事業の立上げ」後、趣味の「週刊将棋」の創刊をするため関連出版社(毎日コミュニケ―ションズ)に移籍後は「ザ123マガジン」、ゲーム雑誌などを次々と創刊。'98年、50歳時を契機に毎コミを退職、「ライフデザイン21事務所」を設立。独立系FPとして「シニアの生活設計」を主テーマに活動展開中。

 


▲憧れの升田元名人(右)と将棋解説
▲憧れの升田元名人(右)と将棋解説

●幼少~会社時代ー

中学時代からの夢は「世の中を語れる先生」になること。
大学では30種類以上のアルバイトに挑戦、社会を知るために毎日新聞へ!! 

少年時代は、野球、陸上、テニスなどのスポーツを得意とする傍ら、将棋では自称「町内一番」を誇ってました(笑。将来の夢は「教師」、中学時代の経験から勉強以外に「世の中を語れる先生になりたい」が目標でした。その後大人になって「金八先生」をTVで見た時「まさにこれが理想の教師像だったんだ」と思いましたね(笑。

早稲田大学では社会教育を専修。入学時には、社会勉強のために「1ヶ月以上継続するバイトを30種類以上こなす(結局38職種)」ことを目標に設定。大学闘争によるロックアウトもあってバイト三昧の学生生活を送りました。 住宅地図作成、宛名書き、ソノシートの路上販売、英字新聞の勧誘員、漬物屋、探偵見習い……などなど何でも挑戦しました。バイトの終了後、社員が飲みに連れて行ってくれるのですが、話題はいつも「上司や会社の愚痴ばかり」でした。この経験から「会社では、黙っていると嫌な仕事でも押し付けられる。やりたい仕事があれば、積極的に提案する必要がある」というサラリーマン人生訓を体得しました。
そんな中、たまたま毎日新聞主催の「ゴヤ展」を手伝う機会があり、私の提案で物品売上が倍増した実績が認められ、バイトの身で次の京都展の物品販売を仕切ることに。そのことが毎日新聞へ入社するキッカケとなったのです。 

 毎日新聞ではとにかく新しいことに挑戦し続けました。’73年入社時には、週刊英字新聞の創刊に携わったり、第1回ESS学生ディベート大会をコーディネート、’78年にはロンドンに留学、途中南米ヒッピー旅行も経験、その後4年間静岡で記者生活を送る。’84年趣味の将棋で、当時の大山康晴将棋連盟会長に提案をして「週刊将棋」を企画・創刊。またアキバでマッキントッシュとの衝撃的な出会いで、PCの時代到来を予感して、’89年仕事で使えるPC月刊誌「THE123 MAGAZINE」を始めPC関連雑誌等を創刊しました。その後は、将棋の対局ゲームソフトを企画販売したり、当時は珍しかったオンライン通信対戦システム事業を立ち上げるなど数多くのマルチメディア(ネット)事業に携わり、’93年社内イントラネット構築や就職情報のDTPシステム導入、社内システムのリプレースなどシステム系のプロジェクトも手掛けました。 

  

●新規起業のキッカケー

40歳のとき、学生時代の旧友を立て続けに亡くし、大きなショックを受ける。
ファイナンシャルプランナーという職種に出会い、目からウロコが…!!  

充実したサラリーマン人生を送っていた40歳の時、 大学のゼミ仲間二人がガンで亡くなりました。大変なショックでした。このころから「いつかは自分も」の想いが出てきて、自分の後半人生を、真剣に考え始めるキッカケとなった出来事でした。

その頃、雑誌の取材で日本初のファイナンシャルプランナー(FP)の方の話を聞く機会がありました。現在と未来の生活に関わる収支や税金、貯蓄の推移などを、表計算ソフトを使ってシミュレーションするのを見て、感動しました。自分の将来を想定できる手法に、身震いするほど驚きました。この頃はFPという資格はまだ認知されていませんでしたが、だからこそ大きなチャンスだと思い、すぐに勉強を始めてFPの資格を取得しました。 

  

●起業の決断ー

団塊世代の相談役、FPの赤ひげを目指したい!!
シニアのライフプラニングを生業にしたい!! 

独立を後押ししたのは総務部長の辞令でした。管理業務にはまったく興味がなく、「これで自分のサラリーマン人生は終わった」と悟り、独立を決意しました。実は、30歳でロンドンへ一年間留学する時にも、一度辞表を提出したことがありました。いまから考えれば、教師になる最後のチャンスだったかもしれませんね。残念ながら会社から遺留され、思い留まった経緯があります。

この時は4,5年前から着々と準備をしていましたので、独立系FPとして「団塊世代の相談役・アドバイザー」を目指して、’98年50歳時に毎コミを退社、独立をしました。   ファイナンシャルプランナーの資格所有者で、不動産、保険、金融、など企業系FPの方々は生業として成立していましたが、私が取り組もうとした「ライフプラニング」の分野(独立系FP)は未開拓の領域で、これだけでメシを食べている人はあまりいない状況でした。それなら「私がシニアのライフプランの第一人者になろう!!」とモチベーションが高揚したものです。 

 

●起業後のエピソードは?

「中高年の3大弱点」を解決するFP。
「定年後の生活設計」において欧米のリタイアメントとの大きなギャップを感じた!!

独立してからは、企業のライフプラン相談室での社員の個別面談や、郵便局の「暮らしの相談センター」の相談員にも加えて頂きました。沢山のシニア設計の相談をこなすうちに、わかってきたことは、中高年のサラリーマンは50代になっても自分の人生の戦略を持たず、人生設計ができていない、という方が実に多いということでした。そこで私は、「中高年の3大弱点」、①ゴール設定を定年に置き将来のイメージが描けていない ②年金、健康保険など社会保険制度を理解していない ③お金に関しての知識が乏しく、その運用についての情報もない、の3大弱点の解決を中心に相談にあたることにしたわけです。

中高年の相談で役立ったのが、英国での留学経験でした。英国留学でお世話になったホームステイ先の50代の夫婦から学んだことは、英国では定年後のハッピーリタイアを楽しみにしており、彼らのゴールはずっと先にあるということです。結局自分の生き方は自分でしか決められません。ただ、日本人はそのことを考える習慣がない方が多いので、その道筋を示す選択肢を提示するように心掛けています。

企業という大組織の中で働いていた頃は、プロジェクトやチームで仕事をしたり、いつも誰かが身近にいて相談できる環境にありました。ところが起業してからは、全て1人でこなさねばならず、情報はなかなか入ってきません。私は独立前からFP専門家の勉強会(スタディグループ)に週数回参加したりして、生きた情報の蓄積や新しい人脈、仲間との交流を広げていました。気がつくと2年目には目標の年収1000万円は超えていました。「FPになって独立・開業、わずが2年で年収1千万円を稼ぐ!!」(すばる舎)という本を出版しましたが、これは嘘ではないんですょ(笑。

 

●今後の夢・目標・生き方についてー

社会的環境変化の中で迷えるシニア世代が増えている。
FPという仕事を通してハッピーリタイヤメントのお手伝いをしたい!!

ここ数年で、FPという仕事が話題にはなってきていますが、多くの方はその業務の内容を理解していません。相続問題を例にあげると、弁護士はトラブルになってから相談するケースが多いですが、FPの仕事では、事前にトラブルにならないよう顧客に気づきと選択肢を提案して未然に防ぐことが可能なのです。

中高年のサラリーマンは、「キャリアプラン」と「ライフプラン」がセットになってはじめて将来が見通せるようになるんです。屋号を「ライフデザイン21」にした理由でもあります。定年後の生き方は自分自身で戦略を持って決める必要があります。お金のことを考えることは、実は自分の生き方が問われているともいえるのです。FPの存在がますます重要になっていることを実感しています。 FPという仕事を通して、シニアのハッピーリタイアメントのお手伝いをし、幸せなシニア世代が増えることに貢献できることが私自身の幸せだと思っております。

私のライフワークは「自分たちが得た知識を社会に還元すると同時に、自分たちの住み良い社会作りに参加する」活動が続けられる組織を作ることです。理事を務める(一般社団法人)高齢者活躍支援協議会の活動を通じて その夢を実現することができればと考えています。

 


●柳沼正秀、私の座右の銘  

  「一期一会」 「今を生きる」



 

 ▽柳沼 正秀(Masahide Yaginuma) facebook個人ページ

 https://www.facebook.com/masahide.yaginuma

 

 

 ▽一般社団法人高齢者活躍支援協議会 理事

  http://jcasca.org/

 


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