▼起業家File.070 林しおりさん 飲食店OH!GOD!共同経営者



専業主婦の地域ボランティアから飲食店起業へ!!地域コミュニティ拠点づくり。

1957年島根県生まれ。父親の転勤で大阪→札幌→杉並に育つ。短大卒業後、丸井やアパレル会社に勤務後結婚、2児出産。埼玉県川口市にて子育て中に、子どもサークルを立ち上げ20年間活動。


●幼少~大学時代―

水泳、合気道…体育会気質の理系女子、遺伝子研究にのめり込む。
研究テーマ「ショウジョウバエの性選択」が今の活動の原点に‼

 

1971年岡山県玉野市生まれ。造船の街・玉野で船の設計技師をしていた父と、専業主婦の母、3歳下の弟との四人家族。父は社交的ながらも怒ると怖いメリハリのある人、母はおやつ、着るもの、家の道具など何でもササっと手作りするとても器用な人でした。
海も山もある岡山で、山に山菜を取りに行ったり、基地遊びをしたり、夏は近所のおじさんが毎日海に連れて行ってくれたり…多少アレルギーや喘息があったけれど普段はとても元気な子だったと思います。ペットに鶏を飼っている家もあったり、週末は誰かの家でバーベキューをしたり、とにかく家族だけでなく、近所の人や父の仕事関係の繋がりで多くの人と関わる環境で楽しく幼少期を過ごしました。

 

小学校は集団登校でしたので、1年生から6年生までとても仲が良く楽しかった思い出ばかりです。私は典型的な長女気質で、周りの期待に応えようと頑張って優等生でいようとしていた気がします。小学校の読書感想文コンクールでは全国2位を受賞して両親がとても喜んだのを覚えています。

 

最初の中学では水泳部に、その後父の転勤で東京中野に転校、そこでは吹奏楽部に入りました。「先生は神様」みたいな顧問のカリスマ指導がどうしても自分に合わなくて、中3の秋に辞めた経験があります。あと少しで引退だったのですが、抗議の気持ちも込めてその前に退部をしました。高校では水泳部に入部、練習は厳しく一緒に入部した女子の半分は辞めてしまったのですが、私は途中退部への抵抗がすごくあったことや、泳ぐのは遅いけれどチームメイトに恵まれて楽しかったこともあり、最後まで続けました。学校生活は、自由な校風で色々なタイプの人がいたので、自分が自分らしく誰からも期待されたり役割を求められないような居心地のよい環境でした。

 

 高校の時、授業中バレーボールでの突き指で手術することとなり2週間入院。手術や治療など先生の優しく適確な姿を見ていて、この頃から医者になることが夢になりました。医学部受験のために化学と生物を選択しましたが、中でも生物の先生の授業がストーリーを語る様でとても面白く、生物の奥深さ、特に「遺伝子」というものにどんどん惹かれてゆきました。もともと昆虫や魚など生き物が好きで、小さい頃は文鳥を飼って、卵から孵った子を育てることなどに熱中していました。そして大学進学も生物が勉強したくて都立大学₍現首都大学東京)理学部生物学科へ。

 

大学では体育会・合気道部へ。単に勧誘の広場で素敵な袴に憧れたのがキッカケでしたが、きつくて何度もやめたいと思いながら、それでも続けたのはやっぱりやるからには最後までという思いがあったからかもしれません。大学が南大沢という僻地だったので、中野の自宅から通う傍ら、新宿のウェンディーズの朝番バイトも頑張りました。生物学科はフィールドワークも多く、色々なところに同級生たちと出かけて、勉強なのか遊びなのかわからない4年間でした。就職も考えましたが97年時は就職氷河期真っ只中だったことや、生物への研究意欲がますます旺盛になり、そのまま大学院への進学を選びました。

 

研究テーマは「ショウジョウバエの性選択」。命を繋ぐために様々な戦略をとる動物たち、その様々な戦略のデザインの妙に魅力を感じていました。オスも大変、メスも大変、同性間の競争や異性間の競争もあり、でもそれが進化につながっていることの面白さを感じる時間でした。この一連の研究が現在の活動の原点になっていると思います。

 


●社会人時代、起業のキッカケー

研究職志望で試行錯誤、運よく蓮見癌研究所に入社。
2回の出産がキッカケで学び直し「助産師」の道へ‼

 

 就職第一志望は日本鯨類研究所でしたが、女子は捕鯨船には乗れないのでNG。とにかく研究職に就きたかったので、一般企業の研究職に次々応募しましたが、ことごとくダメでした。そんな時に運よく巡り合ったのが医療法人社団珠光会蓮見癌研究所です。世間の癌治療は手術・放射線・抗がん剤が主流の時代でしたが、蓮見癌研究所では将来性のある第4の免疫療法の研究に特化していたことやグローバルな研究体制であることに大きな魅力を感じ入社しました。
 

生意気な私はアメリカにいる上司とチャットのように頻繁にメールで議論しながらよくぶつかっていました。また中国の方と一緒に取り組んだ漢方を使った研究はとてもダイナミックでした。ワシントンDC、ウイーン、北京…などへの出張、お陰で仕事と称して様々な国に行けたことが、旅行好きの私にとって何よりの楽しみでした。

 

この頃、ずっと交際していた方との失恋から、やや自暴自棄気味でしたが、そんな時に出会ったのが今の夫です。今までに会ったことがないタイプで、一緒にいて安心感がありました。7月に出会って9月から交際をし、12月に妊娠して、翌年1月に入籍。3月に結婚式を挙げ9月には長女が生まれました。出産後夫は税理士受験のため予備校に通いながら元祖イクメンに。その後夫が働き私が助産師になるために再び大学生兼主婦に、とお互いのやりたいことを尊重し合える関係です。夫は保育園の送り迎えから、家事までこなしてくれたので本当に助かりました。母乳育児だけは私の仕事だったのでよく、「俺もおっぱいがあればなぁ」と…(笑。

1人目の出産直後はもう二度と産みたくないと思いましたが、保育園のママ友の中には産むだけなら何度でもという方がいて、とても驚き、お産周辺の情報に興味を抱くようになりました。私の場合、会陰切開後2ヶ月ほど体が辛かった経験があり「会陰切開をしないでも産める方法がある」ことを知った時に大きなショックを受けました。お産に無知だったために「会陰切開をできる限りしないで欲しい」と言えなかった、という大きな後悔。それから妊娠出産についてマニアになるぐらい猛勉強しました。

そして二人目のお産の時には、助産院でつるりと出産し、その時にお世話になった宗祥子さん(松ヶ丘助産院院長、後の新会社発起人)に「助産師っていい仕事ですね」と伝えたら、「今からでもなれるわよ」そんな答えが返ってきたのが、助産師になるキッカケとなりました。妊娠出産について勉強したお陰でとても楽に安心して産めたことで、更に学習意欲が高まりました。宗さんも中野区役所職員としての社会経験を経た後助産師資格を取得したことがわかり、私も今から資格を取得しても十分間に合うという自信がついて、2番目の子がちょうど1歳になった頃に大学のAO入試に挑戦しました。 

2004年首都大学東京健康福祉学部へ再入学、4年間の勉強で看護師、助産師、保健師の資格を取得。その後東京警察病院に助産師として3年、中野にある松が丘助産院に3年間勤務しました。警察病院時代には、妊娠したお母さんたちのクラスを多く受け持ったり、地域に深く関わりたいという考えが芽生え、PTA改革をした仲間と豊島区の古民家サロン「ながおかさんち」というママサロンを立ち上げたり、自治体の赤ちゃん訪問や父親向けクラスなど様々な活動を通じて、背景が複雑な妊婦や産婦の存在を知ることができました。

 


●起業決断の瞬間―

想いを共有する同志と「にんしんSOS東京」の発足。
クラウドファンディングへの挑戦‼約300万円の調達に成功。

 

2015年5月に開催された「全国妊娠相談SOSネットワーク会議」への参加をキッカケに、宗祥子さんと共に仲間に声を掛け、助産院や地域で妊婦と向き合い現場で赤ちゃんを取り上げてきた現役助産師6名、DVや子ども虐待の現場を経験してきた社会福祉士1名の計7名が結束し、「にんしんSOS東京」を発足。その後9月から、Readyforで「思いがけない妊娠に悩む女性の相談窓口」を東京で立ち上げたい!」というクラウドファンディングをスタート。

私たちからのメインメッセージは2つ。
「生まれてきた子のいのちを救う‼お母さんを犯罪者にしたくない‼」生まれたその日に、適切な対応をしてもらえず失われていく命があります。そんな悲しい命をなくしたい。お母さんを犯罪者になんかさせたくない。それが、私たちの願いであり、使命です。「思いがけない妊娠」をした人は、時にに戸惑い悩みます。中には、誰にも相談できないまま一人で産み落とし、そのまま赤ちゃんを捨ててしまう現実があります。こうしたことが起こると、メディアでは「ひどい母親だ」と女性個人を加害者のように批判する傾向があります。でも、実際には、そうしないで済む道を見つけられずに、悲しい結末を迎えてしまうことが多いのです。

 

「相談さえ出来ていたら、様々な道を知っていたら…」レイプによる妊娠に打ちひしがれる人。既婚の男性に騙されて妊娠してしまう人。そもそも性行為への理解なく、性的虐待を受け、妊娠してしまった少女。妊娠の背景によっては、そのことを誰にも相談できず、最悪の場合、自殺(心中)や児童遺棄という選択をするまでに追い込まれてしまうのです。失われる命も悲しい。罪悪感を抱えて生き続ける命も痛ましい。相談さえできていたら、様々な道を知ってさえいれば、寄り添う人がいてくれさえしたら・・・。

当時は無我夢中で情報発信したスタッフからの想いを紹介します。
子ども虐待の予防という観点(伊東由宥子)
あともう少しで目標の1/2です。ご支援に感謝します(土屋麻由美)
本当の 子ども虐待防止を目指して(古屋)
独りで悩む女性に寄り添える相談窓口に(吉川)
共に考えていける身近な相談窓口へ(Y)
思いがけない妊娠をした方を継続支援する(宗祥子)
相談したいと思ってもらえる相談支援窓口に(中島かおり)

クラウドファンディング中に、妊娠相談さきがけの地・熊本を視察する機会にも恵まれました。その相談窓口には、関東圏からの相談が30%も寄せられていていて「東京にも信頼できる相談窓口が欲しい‼」という声が多いことを知りました。そしてもっと驚いたのは、日本の中絶数が全国で18万人もいるということでした。私は出産のことばかりに気を取られ、少子化対策の一翼を担っていることを自負していましたが、「妊婦の段階での様々な孤立や悩み」が日本の隠れた社会問題になっていることを改めて再認識しました。

そして、300万円超の資金調達に成功‼ 241名予想以上の応援者に心から感謝しました。その後私たちは、相談業務開始に向け、相談員としての必要なスキルを磨くためトレーニングを重ねたり、各地で同じような活動を開始されている方々に助言を頂きながら、事業スタートの準備と各連携機関との関係構築や仕組みづくりに取り組みました。

 


●起業後のエピソード―

相談開始後3ケ月で、延べ200件と予想以上の反響に‼
一般社団法人化して、国家資格保有者が次々参画へ。

 

 2015年12月から相談業務を開始。

【にんしんSOS東京理念】

生まれてくる命に良い悪いなんてない。
私たちはそう信じています。
命が宿ったからには何か意味がある。

生まれることにも、生まれないことにも。

私たちはそう考えます。

「産めない」と感じる女性の気持ち、

「産まなければならない」と思い悩む女性の気持ち。

どちらもそれは、社会の問題。

だからこそ、私たちは支えになれればと願います。

その人が、心からその人の選択をする。

そうしたい、そうするのがいいと、

自分の選択に納得して、主体的に人生を歩む。

私たちは、すべての命に付き添います。

生まれる、生まれない。産む、産まない。

すべてに、付き添います。

最初の3ヶ月間の相談件数は、初回相談だけで60件を超える反響がありました。同行支援や相談を重ねるケースも多く、延べの相談件数は実に200件を超える状況でした。泣きながら気持ちの整理をするために電話をかけてきてくれた女性、男子生徒からのメールや家族からの相談など相談者さんの背景や相談内容も多岐にわたります。私たちが話を聞きアドバイスするだけで解決できないケースも多く、関係機関の方や行政の方との連携が必要になるケースも多くあります。いずれのケースについても「相談者さんが自ら納得して選択できる」ことを大切にメンバー一同悩みながら、互いに相談をしながら相談業務にあたりました。

 

そして2016年3月に一般社団法人設立。相談件数の増加や相談対応時間の延長を視野に入れ、相談員の募集を行い順次増員を図りました。2017年12月時点で、相談支援員は助産師、看護師、保健師、医師等の専門性を持つスタッフ22名、運営スタッフは5名の規模になっています。

にんしんSOS東京の仕事は、思いがけない妊娠に悩む女性たちの命とお腹の中のいのちについて一緒に考えること、「妊娠にかかわる『すべてのどうしよう』『困った』に寄り添う」ことです。そしてそれぞれの困りごとの解決を手助けしてくれる連絡先を一緒に探すこと、さらにその連絡先と彼女たちを確かに繋げるところまでを担いたいと思っています。勇気を出して発信してくれたたった一つのSOSを、大切に受け止め、新しい繋がりや考え方、そして彼女たち自身の力になっていってくれるように、それを思いながら彼女たちの言葉に耳を傾けています。

Youtubeの動画を視てご相談を頂くケースも増えています。




●今後の夢、目標‼
行政の対策は進むも「母子手帳未発行者」には届かず。

「漂流女子」上梓‼相談現場のリアルな出来事を知って欲しい。

 

これまでに私たちか受け取ったのは900名を超える方からのSOS。メールや電話、LINE、SMS、面会や同行などのやり取りの総数は5000件を超えました。

「ドラッグストアのトイレに…」「マンションのごみ捨て場で…」生後間もない、へその緒がついたままの乳児が遺棄されていたというニュースは後を絶ちません。厚生労働省が把握した2015年度に発生した子ども虐待による死者数は84名であり、4日に1人が命を落としていることになります。

また内閣府は少子化対策として、「結婚・妊娠・出産・育児の切れ目のない支援」として会議・プロジェクトチームを発足させたり厚生労働省では「妊娠・出産包括支援モデル事業」を、東京都においても妊娠届けの受理や母子手帳交付の際に、保健師などの専門職が面接を実施し養育支援等の実施を開始していますが、最も虐待リスクの高い状況にある妊婦は母子手帳未交付である場合が多く、行政の切れ目のない支援の入口にさえ現れていないのです。

年齢も性別も抱える背景も一つとして同じものではない、一人ひとりから発信されるSOS。その中でも、社会で孤立してどこにも錨を下せずにに漂流している女性たちからのSOSは、見ず知らずの私たちへの命がけの発信だと感じています。SOSの背景には、貧困や虐待があります。彼女たちが持っていないのは、身近な頼れる存在と社会資源への繋がりです。妊娠をするずっと前から複数の課題を抱えて孤立している彼女たち。しかし「妊娠」は期限付きの課題であり、それが目の前に来た時には、もう一人では抱えきれないほどの大きさになっているのです。

一つの出会いの現場で感じることは、勇気を出して「助けて」と伝えてくれてありがとうという気持ちです。何度裏切られても、絶望しても、あきらめないその姿に私たちスタッフも励まされ、力をもらっています。「にんしんSOS東京」には、私たちだけではなく、他の相談窓口や病院、行政や警察、民間の特別養子縁組団体、カウンセリングをボランティアで行う団体、子ども支援を行う団体、司法の専門家との強いネットワークがあります。彼女たちをそれぞれの適切なサポート機関へ繋げたり、再び社会に出ていく後ろ姿を見送るまでが、私たち「にんしんSOS東京」の大きな役割だと認識しています。
   
    

長い文章をお読みいただき、ありがとうございます。
2017年10月、これまでの相談事例や私たちの想いを綴った著書「漂流女子(朝日新書/720円+税)」を出版しましたので、にんしんSOS東京のリアルな相談現場についてご一読頂けましたら幸いです。
まだまだ活動を始めたばかりの団体ですので、今後とも末永く応援よろしくお願い申し上げます。
  


▼中島かおりさんの座右の銘 
『 やさしく やさしく やさしくね  やさしいことは強いのよ

 

ねむの木学園の宮城まり子さんの言葉で、小学6年生の頃から心に刻んでいます。厳しさよりも優しさで社会課題を良い方向に動かしていきたい。寛容な人でありたい、オープンマインドな人でありたいと思っています。ガンジーさんの「永遠に生きるように学べ、明日死にように生きろ」も好きです。




〇一般社団法人にんしんSOS東京公式サイト
 https://nsost.jp/
〇一般社団法人全国妊娠SOSネットワーク
 http://zenninnet-sos.org/
〇中島かおりFB個人アカウント
 https://www.facebook.com/rinks92



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