▼起業家File.041日野公三さん  ㈱アットマーク・ラーニング代表取締役



アットマーク国際高校・明蓬館高校理事長、日本ホームスクール支援協会理事長

1959年愛媛県大洲市生まれ。岡山大学時代からリクルート社でアルバイトに従事し、そのままR社へ就職し、20代での独立起業を夢みる。東京転勤、住宅オンライン事業部、人事測定事業部、営業職を経て㈱インタークロス研究所へ転職。そして30歳直前に㈱オウトゥー・ジャパン起業独立。神奈川県第三セクター㈱ケイネットを経て

2000年に㈱アットマーク・ラーニング社を設立。「不登校や発達障害などスペシャルニーズを持つ子供たちを救いたい‼」という志しからオルタナティブな(隙間を埋める)教育機会の創出を目指している。石川県、福岡県、横浜、青山など自治体や外部機関と連携しながら、着実に全国展開進行中。


●幼少~就職―
高校時代ソフト部のピッチャーで花開くが鎖骨骨折…。

テニス&スキーのトレンディな大学生活からリクルート社へ。

 

1959年愛媛県大洲市生まれ。父は国鉄マンで3兄弟の末っ子。瀬戸内海を望む田舎町で、毎日友達と草野球することが唯一の楽しみでした。ノーベル物理学賞受賞で一躍有名になった中村修二氏は、地元先輩にあたり今では街の誇りになっています。中学時代は剣道部に所属、すり足が上手くいかず足の爪をよく剥がしていました。


高校は地元大洲高校に進学しソフトボール部に入部。剣道をやっていたという理由だけで投手に指名されたのですが、ウィンドミル投法をマスターできたことは大きな収穫でした。お陰で2年生の時サブ投手としてインターハイに出場できました。しかし周囲の期待が掛かった3年時の大会直前に、町内ソフト大会で不運の鎖骨骨折‼人生初の大きな挫折でした。その後は中学時代からのもうひとつの趣味、読書に没頭しました。特に大江健三郎氏は隣町出身で大好きな小説家でしたので、著作30冊以上読みふけりました。

大学進学当時は、兄も大学生で憧れの東京や大阪は経済的負担が大きかったため、悩んだ末に国立岡山大学へ進学しました。入学後は御多分に漏れず軟派系テニスサークルに参加。交友関係の幅が大きく拡がり、テニスの練習、飲み会、合コン…などトレンディな青春を謳歌いたしました(笑。その一方で現代文学研究会にも所属、詩・小説執筆文集製作だけでなく、16ミリ映画製作で脚本&監督にも挑戦しました。

3年生になり就職を意識し始めた頃、リクルートという会社に巡り合い、私のその後のビジネス人生に多大な影響をもたらしたのです。軽い気持ちから岡山営業所でアルバイトを始めたのですが、編集業務、一般企業への営業など新鮮なビジネスの世界に触れ、大きな刺激を受けました。社内は活気に溢れ、熱い先輩たちから多くのことを学びました。そして「30歳までに起業家になることを決意」し、色々な業種の会社や経営者を知ることができるR社の営業職に惹かれ、そのままR社へ就職することに…。



●サラリーマン時代、1回目の起業

勉強会での人脈のお陰で、仕事の営業成績はいつも好調でした。

インタークロス研究所へ転職、そして遂に30歳前に独立起業を果たす‼


入社後2年間で訪問した会社は数知れず、このときくらいしか色々な会社を肌感覚で知る機会はないだろうと考え、辛さ半分、楽しさ半分で営業訪問しました。そんな時大きなチャンスが巡ってきたのです。東京本社での新規事業部署「住宅情報オンライン事業部」に着任したのです。町の不動産屋さん向けにPCと不動産情報のデータサービスの営業担当として、慣れない都心を走り回りました。デモの際は車でPCを運び、モデムで繋いで実演する…が、なかなか回線が繋がらなくて、お客様がその場を離れて仕事に戻っていく…など悲しい現実もありました(苦笑。

次の人事測定事業部では、新入社員採用時に使うSPIという検査サービスの営業を担当。営業職としてそれぞれの部署でベスト3に入る実績を挙げられたのは、社内外に人脈ネットワークがあったからです。20代・30代のビジネスマンの勉強会「マンスリープラネット」を立ち上げ、毎月定例会や各種イベントを開催し2年間で800人に成長。この人脈は、その後のビジネス人生の大きな財産となりました。

起業するためには、中小企業の経営全般や営業以外の人事・経理・総務分野を学ぶ必要性を感じ、ご縁を頂いて㈱インタークロス研究所へ転職しました。イベント情報の出版とコンサルティングが主業務で、当時は市政50周年イベントが全国で目白押しの時期に当たり業績も順調、全国の自治体、広告・イベント会社、テレビ局などを東奔西走。そして30歳直前の19889月にオウトゥー・ジャパン㈱を創業したのです。「大企業の新規事業部・事業開発部向けの月刊ニューズレターの発行事業」をメイン事業として、当時ブーム化しつつあった「大企業の新規事業の立ち上げ、経営の多角化」や「子会社創業」などをテーマとしました。しかし創業パートナーとの袂を分かつという大変辛い出来事や、デジタルメディアの台頭など…あまり順風満帆ではありませんでした。

 


●本格起業のきっかけ、決断―

ケイネット時代ふと覗いた「不登校サロンBBS」に大きな衝撃を受けた。

不登校児などのスペシャルニーズに対応する学校運営をライフワークにしたい‼

 

起業後4年経った頃、神奈川県第三セクターでパソコン通信サービス会社(㈱ケイネット)の経営再建に参画することになりました。当時のパソコン通信は、「夢の双方向メディア」「ニューメディア」として大きく注目されていた分野でした。私はパソコン教室の開設や通信を活用した教育事業取締役に就任し、事業プランを練っている時に「不登校サロン」というBBSに着目したのです。不登校の子供たち約200人が、事件や社会問題について激論を交していたのを観て、私は非常にもったいないなと思いました。 何故なら当時の「不登校」には社会から「落伍者」のレッテルが貼られていたからです。これらの議論を見る限り彼らは非常に優秀であり、そんなレッテルを貼ることは、社会的にも大きな損失だと感じたのです。 

 

そこで、彼らがきちんと帰属し勉強ができるような環境を事業として整備したいと考え、インターネットハイスクール「風(Kaze)」を立ち上げることに。そして2年間で180人ほどの生徒が集まり事業採算性が検証できました。しかし本業のパソコン通信事業が縮小となり、結局学校事業は営業権譲渡することに…。しかしこれらの経験が私の起業決断の原点となったのです。「不登校生に対応する本格的なスクール運営で起業したい‼」、学校法人をつくって私学を立ち上げると5-10年掛かるのですが、そんな悠長な時間はありません‼株式会社形態で学校運営することを決断。そして米国視察、提携校探し、資金調達、カリキュラム…などで本格起業のための準備期間は1年としました。

 

視察で渡米する度に米国教育のオルタナティブ(代替可能な)教育に衝撃を受けました。米国では「ホームスクール制度」があり、州や学区の教育委員会の認可があれば、誰でも家で子供を学ばせることができます。ですから「ホームスクール」や「インターネットスクール」を運営するためのカリキュラムも豊富にサンプルがあるのです。さらに中学校以上ではアルバイトやボランティア経験に対して単位が与えられる制度も一般的で、社会と関わる経験も単位として認めています。国情や制度の違いを認識したうえで、理想的な教育課程を持っている提携高校を探し続け、遂にワシントン州にある「アルジャー・インディペンデンス・ハイスクール」との提携が実現しました。



●起業のエピソード―

株式会社形態の学校運営、資金調達には本当に苦労しました。
開校実績で特区制度の認可学校に採用、展開スピードに拍車が‼

 

最も苦労したのが資金調達です。昔の友人知人に相談しても、まともに話を聞いてくれません。30人の方にお会いしてようやく1人の神様が現れるくらいでした。自信はあるものの実績がない当時の私に資金協力してくださった方々へのご恩は、一生忘れることができません。

そして2000年、遂にインターネットを活用した通信制高校「アットマーク・インターハイスクール(現・東京 インターハイスクール)」を開校。米国の高校卒業資格を得ることができ、教科書やカリキュ ラムは生徒が主体的に選択することができる。スクーリングの義務はありませんが、学習コーチングなどのサポートを受けられます。最近は帰国子女等の受け皿の学校として実績を挙げています。

’04年には、全国初の市町村認可による特区第一号高校「美川特区アットマーク国際高等学校」を石川県白山市に設立。最近のデータでは卒業時の進学率は通信制高校第1位(75%)に。さらに’09年には、構造改革特区制度のもと、福岡県川崎町に明蓬館高等学校を設立しました。不登校や発達障害の生徒を積極的に受け入れており、普段は自宅でイン ターネットを利用して授業を受け、品川・御殿山キャンパスでは随時補習が行われ相談もできます。また、川崎町本校で年に10回程度実施される3泊4日のスクーリングでは、全国から来たさまざまな生徒や地元の人たちと一緒に、普段の生活とはかけ離れた体験ができるため、心身とも大きく変化する生徒がいます。

川崎町の校舎は、廃校となった小学校を町がリノベーションしたもので、設立が決まった当初は、地元住民の反対運動もありました。しかし粘り強く対話の機会を重ねて理解を得てきた経緯があり、その結果今では授業利用だけでなく地域との交流拠点になっています。例えば、地域のお母さんたちと生徒が一緒に、校舎の調理スペースを使ってつくった地元の料理がとても美味しいと評判になったので、自信を得た町の人たちが、レシピ開発・農産加工品の製造を手掛けるようにもなるなど、新しいビジネスの芽が生まれ活気づいています。



▲東田直樹さんはアットマーク国際高校出身
▲東田直樹さんはアットマーク国際高校出身

●近況と今後の目標―
日本にもオルタナティブな(隙間を埋める)教育機会が必要‼
スピーディに外部組織と連携を進めて全国展開を進めます‼

そもそも、不登校生のための高校づくりが、なぜスペシャルニーズ対応へ対象範囲が広がってきたのか、一番の要因は「不登校の影に発達障がいがあり」ということが実証できる生徒の入学が年々増えてきた現実があります。今や通信制高校に在籍する生徒の15%が発達障がいを抱えている状況にあります。また私自身の身近な発達障害教育に携わった経験も影響しています。色々な先生方やサポートケアの専門家の皆さまとお話しを進めるうちに障がいを受入れ、どうサポートしていくのか?を冷静に認識することができました。

小中学生の発達障害支援制度は少しづつ充実の方向に向かっていましたが、高校生への対応は極めて少なかったのです。ですから、私たちは社会の使命として、全国のスペシャルニーズに対応すべく今後もスピーディな活動を充実してゆきたいと、決意を新たにしています。

明るい話題も生まれています。アットマーク国際高校卒業生の東田直樹さんは「自閉症の僕が跳びはねる理由(続偏も)」でベストセラー作家に。現在世界20ケ国以上で翻訳されたり、他著書多数の自閉症作家として大活躍されていらっしゃいます。全国で講演活動もされていて、常に満席になるほどの人気です。他にも秀でた才能をお持ちの生徒も多いので、これからが楽しみです。

 

「子供は日本の宝、未来の日本を担う大切な人財です」、アメリカでは、ホームスクールやチャータースクー ル、オンラインスクール…など教育にいろいろな形態があるため「不登校」という概念が存在しません。これらは、市民が自分たちに必要だと感じて、学校をつくる権利を行使した結果、各地で生み出されたものなのです。 日本では、画一的な教育を受けなければという強迫観念がまだまだ強いですが、私たちは外部組織との連携を積極的に進めて、今後もオルタナティブな(隙間を埋める)教育機会を拡げて参ります。 

 




▼日野公三さんの座右の銘

「疾風に勁草を知る」
激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる。苦難にあってはじめて、その人の節操の堅さや意志の強さがわかるということ。


アットマーク・ラーニング http://www.at-learn.co.jp/
〇アットマーク国際高校 http://www.at-kokusai.jp/

〇明蓬館高等学校 http://www.at-mhk.jp/
〇Facebook個人ID https://www.facebook.com/kozo.hino

〇東田直樹オフィシャルサイト http://naoki-higashida.jp/


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