▼起業家File.035武者博和さん  BMCエンタープライズ㈱ 代表取締役


(プロフィール) 劇団ZANGE座長 ブッチー武者 スナック「女無Bar」オーナー

1952年長野県東御市生まれ。高校卒業後、上京。「NHKお笑いオンステージ」「日テレお笑いスター誕生」出演、そして「オレたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきん懺悔室」でブレイクし6年間レギュラーに。その後地方営業での活躍を経てアフガンでの体験で衝撃を受ける。’97年歌舞伎町にスナック「女無Bar」をOPEN、’03年自主公演「ロマンティックライフ」をスタート。’13年11月BMCエンタープライズ㈱設立し、若手の夢を実現する演劇スクールを開校。現在’14年9月の劇団ZANGEの旗揚げ公演「生きる(認知症・介護家族物語)」へ向けて爆進中!!

●幼少~就職―
ドラ声から一転、合唱に目覚め関東甲信越大会3位に!!

設計事務所に就職したものの歌への情熱は忘れられなかった・・・。

 

1952年長野県東御市、土木屋の父とりんご農家の母の長男として生まれました。小さい頃から実家のりんご農家を手伝っていたお陰か、体格が良く、ソフトボールではいつもランニングホームランでした(笑。親分肌のひょうきん者で、唯一の弱点は昔からのドラ声、ですから音楽は大嫌いでした。ところが変声期で「テノールボイス」に大変身!! 合唱部の顧問の先生に見初められ、合唱部へ入部しました。休日は実家のりんご畑の手伝いがありましたが、早く終わらせて消毒薬の匂いをプンプンさせたまま音楽室へ駆けつけ、女子部員からクスクス笑われながらも練習に励んだものです。お陰で中学時代にNHK合唱コンクール県大会1位、関東甲信越大会3位を受賞。高校は父の勧めで上田千曲高校建築科へ進学しましたが、ここでも合唱部へ。成績は毎日コンクール県大会3位でした。


進路相談で、合唱部顧問の先生の後押しもあり、音楽大学への進学を密かに夢見ていました。しかしその話が母から父に漏れ、父はすぐに学校へ駆け込み、唯一の味方だった顧問の先生を言い含めてしまったのです。そこで、仕方なく設計事務所へ就職することに・・・(涙。ただし父への就職の条件として「どうしても最先端の設計技術を勉強したい。仕事しながら専門学校にも通いたいので絶対に東京へ行きたい!!」と懇願し、結局東京の事務所に就職することができました。

18歳で初めての東京生活、葛飾にある会社の社員寮に入り、給料は3万円くらいだったと思います。仕事に慣れるまでは、覚えることが沢山あり大変でした。ようやく仕事に慣れ多少余裕がでてきた頃、高校時代の合唱部の先輩に誘われて遊びに出掛けた先が、吉祥寺にある「歌声喫茶・ともしび」でした。アコーディオンの伴奏でみんなで楽しそうに歌う姿やお店の雰囲気に触れ、歌への情熱が再び蘇ってきたのです。
  

▲「NHKお笑いオンステージ」
▲「NHKお笑いオンステージ」

●退職、そしてフリーター生活

「どうしても、唄と芝居に挑戦したい!!」想いが強く、退職。

レオナルド熊さんに師事し「お笑いスター誕生」で健闘するまでに!!

 

歌声喫茶「ともしび」は、会社の近くにもあり毎週末、亀戸店に通うようになりました。その後お店の準レギュラー格のリーダーになったり、オペレッタ劇団にも誘われ、次第に役者として出演するようになると、設計の修行どころではなくなってきました(汗。オペレッタ劇団は、主に地方の小学校を巡業し、劇を通じて子供たちの情操教育をする活動で、昼は子供たちと歌や劇を楽しみ、夜は演劇を愛する仲間たちと熱く語り合う生活になっていったのです。

1972年20歳の時、ついに「どうしても演劇をやりたいので、設計の仕事を辞めたい!!」と実家へ報告しに行くと、父からは「おはえは勘当だ!!財産放棄して出て行け!!」と親子の縁を切られました。その後はトラック配送のアルバイトで必死に生計を立てながら、オペレッタ劇団の活動に打ち込んでいました。そんな時、ある先輩からお声が掛かりました。「武者はひょうきんで面白いキャラなのでお笑いに挑戦してみないか?」と、そして先輩と一緒に「NHKお笑いオンステージ」のオーディションに挑戦し、見事に合格!!100人中15人に選ばれたのです。はかまみ満緒さんなどプロからの直接指導を受けるようになり、更には南伸介さん、東八郎さん、中村めい子さんなどが演ずるコントの端役として番組にも出演させて頂けるようになりました。

その頃、浅草演芸場で出会ったのが「レオナルド熊」さんでした。社会性のあるテーマだけど、身なりは汚く酔っ払い風、インチキ臭いところがとても新鮮で大ウケ♪、その後何度も通った挙句に「弟子入り宣言!!」することに。仕事を辞め、師匠のかばん持ちから始め、師匠がラッキーパンチを解散後は、「コント・レオナルド」を結成し地方巡業などで芸の練習に励みました。その後「アッパー8」を結成し「日テレお笑いスター誕生」で6週勝ち抜くまでになりました。さらに29歳で結婚、喫茶ともしびで知り合った合唱好きの女性で、妙に話しが盛り上がったことがキッカケでした。そんな時「オレたちひょうきん族」出演の話が舞い込んだのです。

 

▲「オレたちひょうきん族」ZANGEコーナー
▲「オレたちひょうきん族」ZANGEコーナー

●起業のキッカケ、起業―

「オレたちひょうきん族」の「ひょうきん懺悔室」でブレイク。

紆余曲折の末「演劇で社会を表現したみたい!!」と原点に立ち戻った。


「オレたちひょうきん族」のZANGEコーナーは、試しに始まった企画で、その後6年番組終了するまで続くとは思いませんでした。キリスト協会からクレームが来たり、当初は大変でしたが、次第に番組エンディングの名物コーナーに成長し、瞬間最高視聴率をとることも度々でした(汗。給料の他にキャラクター収入など、人生で初めて後輩に奢る側に回って有頂天になっていた時期です。実はビートたけしさんに「たけし軍団」創設にお誘い頂いたことがあるのですが、私は行きたい気持ちは山々でしたが「2師に交えず!」で丁重にお断りした処、ご理解頂けてその後もお付き合い頂いております。’89年10月に番組は終了しましたが、その後数年は、ZANGEの地方営業でかなり良い仕事を頂いておりました。

大きな人生の転換期になったのは、「アフガン潜入!!戦場公演」でした。兄弟子のホープさん(ゆーとびあ)と「究極の笑い」とは何か?で議論した時に、「戦場で死を覚悟した人たちを笑わせられるか?!」でした。そして内戦が続くアフガンに潜入し、地対空ミサイル砲のトラックを特設ステージにした兵士100人の前で、コントをしたのです。通訳付きコントに兵士たちは戸惑っていましたが、「ゴムぱっちん」で爆笑に火が付いて、ゆでたまご(親愛の証)を沢山頂く関係ができました。あまりに嬉しかったので、街のお店で買ったりんごを子供たちに分けてあげると、そのりんごを(あまりの貧しさから)皆お店に持ち込んで買い上げて貰っていたのです。その必死で生きる子供たちの悲しそうな目に、何か自分の生き方について「ガツ~ん」と殴られたような衝撃を覚えたのでした。

帰国後、自分にできることは何なのか?を自問する日が続きました。テレビ業界で一時期持て囃されましたこともありましたが、「自分の志は演劇にあり、表現で伝えることである」という自分の原点を思い出したのです。また師匠のレオナルド熊さんが亡くなる少し前に「芸能界は不安定なので、事業をやれ!! 若手を育てろ!!」と言われた言葉も忘れられませんでした。そこで、若手を育成する演劇活動と生活を支えるための飲食店を経営することを決断し、まず’97年新宿歌舞伎町に「女無Bar(カラオケスナック)」を独立開業したのです。
 

●起業後のエピソード―

実業のお店を持ったことで、演劇に関連する人と人との交流の場に。
本格的に劇団ZANGEの旗揚げ公演が’14年9月に決定!!

 

お店を持ったことで、かつての演劇仲間や新しく出会った方々が集い交流できる場所が生まれました。更に劇団員もアルバイトとして働ける場にもなりました。そして’03年から2年に1度のペースで、色々な方々の協力を得て「ブッチー武者プロデュース~ロマンティックライフ」の公演がスタート、ブラザートムさん、池野めだかさん、吉野紗香さん、レギュラーさん、などにご出演頂いて大成功を収めました。ダサ男・善作(私)の喜劇ベースではありますが、「人のために何ができるのか?」というテーマを発信する舞台劇です。

しかし’11年は東北大震災の影響で公演中止に、日本の景気低迷も去ることながら、歌舞伎町の街が沈んでいくのを感じました。こんな時だからこそ「本格的な劇団を作ってメッセージを発信したい!!」という想いがますます強くなってきました。そんな折タイミングよく「大塚のビルを稽古場に使わないか?」というとても素敵なご縁をいただき、’13年11月稽古場OPENと同時にBMCエンタープライズ株式会社を設立し、先行してエンターテイメント業界で活躍できる即戦力の人材を育成するスクールを開校しました。

そして本格的な旗揚げ公演に向けての準備を開始。社会派テーマで模索しているうちに「京都介護殺人事件」と出会い、色々調べるうちに介護の現場で起こっていること「介護離職」「途絶える収入」「先の見えない不安」「認知症の現実」・・・が、今後ますます社会問題となることが予想され、実話にもとづく認知症をテーマにした「(タイトル)生きる」で、劇団ZANGEの旗揚げ公演をすることにしました。すると浜田光男さん、大信田礼子さん、田原総一郎さんなど、介護経験でご苦労された方々のご協力もあり、キャスティングが決まってゆきました。脚本・演出はコント竹田くんと山口くんの山口弘和さんに。会場は400人収容可能な俳優座、9月2日初日で全8公演です。
  

●これからの夢、目標―
まずはこの旗揚げ公演を成功させることが第一目標!!
演劇を目指す若手の夢を実現し、演劇界を盛り上げたい。

公演を1ヶ月後に控えて、読み合わせから舞台稽古と本格化し、スタッフ一同緊張のスイッチが入ってきました。俳優座での旗揚げ公演は願ってもない舞台なので、今から期待と興奮の毎日です。

新しい劇団として俳優さんにいつも伝えていることは、「役の大きさではなく、その役をこなすこと」「人あっての自分」「人のために何ができるか?」「人を感動させる演技をすること」・・・古臭いかも知れないですが、人前で恥をかいてもいい、失敗してもいい、・・・技術を磨いて
1歩1歩積み上げていくものだと思っています。


介護問題と言われて久しくはなりましたが、現状において未だに円滑な介護ができておらず待機者、離職者も大勢います。これは他人事ではなく、核家族化した現代においては誰もが避けて通れない問題です。このことを意識することで善後策を考え、少しでも幸せな老後生活を望みたいものです。今回の取材中多くの問題に遭遇し、学ばせていただいた知識の数々、また既に介護の連携プレーを確立させ実行されておられる地域の皆様を知り、大きな励みになりました。

今回の公演を成功させ、地方のお客さまにもぜひライブの舞台を見て頂きたいと思います。皆さま応援よろしくお願いいたします。

 


▼武者博和(ブッチー武者)さんの座右の銘

「己の欲せざる所は人に施す勿れ」
  ~自分がいやだと思うようなことを人にしてはいけない。

 

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▼劇団ZANGE旗揚げ公演 2014年9月2日~7日(8回公演) 六本木・俳優座劇場
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