▼起業家File.034野々部利弘さん  宗教法人金剛院 代表役員



(プロフィール) 真言宗豊山派金剛院33代目住職  赤門テラス「なゆた」運営

1954年東京都豊島区生まれ。好奇心旺盛でパイロットを目指した少年時代、多彩なアルバイトやボランティアで過ごした学生時代、仏門に入ってからは「お寺は地域、社会の中にある」という発想から「地域コミュニティ」づくりを目指した。500年の歴史を背負いながら、「変えてはいけないもの、時代とともに変わらなければいけないもの」を軸に据えつつ、次々と新しいスタイルを提案、「本堂を活用したイベント」「広場を活用したマーケット」「NPO法人の設立」「永代供養墓」「赤門テラス・なゆたOPEN」・・・。更にインターネットも黎明期からフル活用し、ブログ、Facebook、Twitterでの情報発信に注力し、マスコミからも注目を浴びている。


●幼少~高校生―
昔から好奇心旺盛で何でもトライしたくなるタイプでした。

野球、サッカー、和弓、アーチェリー、プラモデル・・・。

 

1954年東京都豊島区、500年以上の歴史をもつ金剛院(椎名町駅前)に生まれました。金剛院はご本尊に「阿弥陀三尊」を安置する真言宗豊山派という宗派のお寺です。大永2年(1522年)に開創されてから、私で33代目を迎えます。真言宗は社会の授業で習ったかと思いますが、平安時代に弘法大師「空海」によって開かれた教えで、日本の文化を築き、すべてを肯定して正しい智慧で分別していく「曼荼羅(まんだら)」の世界観を説いています。

私は長男として生まれ、33代目と期待されながら大切に育てられたようですが、小さい頃から好奇心旺盛で何でもチャレンジしてみたくなる性分だったお陰で、少し回り道をしてしまいました(汗。スポーツでは、野球・サッカー・和弓・・・など、すぐに夢中になり、熱くなり、ある程度まで上達すると冷めてしまうタイプ・・・(苦笑。またホテルニューオータニ東京が開業し、最上階の回転するレストランが異次元の世界に見えて魅了され、塾の帰りの道草で遊んでいました。昔のホテルマンは、変な子どもがいても寛容でしたね(笑。勉強はと言うと、歴史など暗記モノが苦手で、ハッキリと答えがでる理科や算数が得意でした。

中学、高校は学習院へ進学。ちなみにあの高円宮様(故人)とは同級生でした。アーチェリー部に所属しアクティブな傍ら、趣味ではプラモデルにハマり、特に機械ものや空への憧れが頂点に達していました。高2で将来の進路が話題になる頃には、無謀にも航空大学へ進学しパイロットを目指すことを密かに決めていたのです(汗。しかし人生はわからないもので、ある時先輩に有名な五つ星の寿司屋に誘われた時のことです。寿司は冷蔵庫のない時代に寿司職人が保存食として手を入れる技術で、手間暇掛けて仕込んだ、その職人気質になんとも感じ入り、「日本の伝統文化を受け継ぐこと」に目覚めたのです。寡黙で無愛想なオヤジさんでしたが、故き良きものを大切にする美意識に大きな衝撃を受け、パイロットの夢からは、大方向転換・・・それほどインパクトがある大きな人生の出会いでした。

 


●学生時代、20代のエピソード

学生時代から「パネルシアター」の普及に没頭し、海外遠征も。

真言宗初のニューヨーク馨明(しょうみょう)公演が大成功!!

 

そして大正大学仏教学部真言宗学科へ進学。授業はサボりがちでしたが(汗、一番勉強になったのは、損得が交差する大人の社会でアルバイトを体験することで貴重な社会経験を積むことができたことです。しかし伝統文化を伝えることの大切さに気づいて家業を継ぐことを決断しながらも、相変わらずミーハーな学生生活が続いていました。そんな時、友人に誘われて何気なく参加した「パネルシアター」に大きな衝撃を受けたのです。「パネルシアター」は、パネル布を貼った舞台に絵や文字を貼ったり、外したりしてストーリーを展開する紙芝居みたいなモノです。


大学の先輩でもある古宇田亮順先生が’73年に創案されて間もない頃で、保育園・幼稚園・小学校などの保育・教育現場を中心に、実演して広めて行こうという時期でした。私も全国での巡業にボランティア同行するほど虜になりました。古宇田先生や仲間から「創作し、伝えることの素晴らしさ」を、そして子供たちの笑顔から「幸せとは何か?喜びとは何か?」・・・など多くのことを学ぶことができました。更に大学院時代には、カンボジアの難民ボランティアの公演遠征にまで同行し、海外の人々の暮らしや幸せについて多くの刺激を受けました。

大正大学修士課程を卒業後は、副住職として金剛院に入社しましたが、パネルシアターなどのボランティア活動は続けていました。すると考えれば考えるほど仏門の世界と一般社会にギャップを感じるようになってきたのです。住職としてどういうスタンスを取ればよいのか悩まされる日々が続き、心理学の勉強を始めたり、カウンセリング(ロジャースのエンカウンターグループ)の勉強会に入会したりして、固定概念の打破と自己啓発のセミナーまで体験しました。また26歳で結婚して子供も生まれ、子育てを経験しながら「人間関係」や「愛情」について深く考えるようにもなりました。


そんな時(’84年)、舞踏家の長嶺ヤス子さんからニューヨークで、踊りと馨明(しょうみょう)のコラボレーション公演の依頼があり、全国の豊山派50人以上の僧侶団体で渡米し、カーネギーホールでの公演で大成功を収めました。更にサークルスクエアという舞台で「Dai Hannya Ceremony」単独公演まで実現する事務局を務めました。2つの公演終了後のスタンディング・オベーション&喝采と翌日の新聞の大絶賛記事は、今でも忘れることができないほどの感動でした。日本での仏門の閉鎖性に悩んでいた時期だけに、日本の伝統文化をもっともっとアピールすることの大切さに気づいた意義のある海外公演でした。

  


▲東京新聞に掲載
▲東京新聞に掲載

●代表役員に―

34歳の時に、金剛院33代目住職へ。

「寺は地域、社会の中にある!!」


そして’89年に72歳になった父から33代目の住職を引き継ぎました。古き良き日本の伝統文化を守りながらも、新しいスタイルの仏門戦略を実行してゆこうと決断した日です。その後、試行錯誤を繰り返しながらも貫いてきた2本柱が、「地域のリアルなコミュニティ化」と「インターネット(現在はソーシャル)等のメディア活用」です。

「お寺はお葬式やお墓参りの時に来るもの」という固定概念を払拭して、「地域のコミュニティ拠点」に発展させたかったのです。「十二単着物ショー(写真)」「本堂でコンサートや映画上映会」「お寺DE結婚式」・・・など地域や企業の皆さまの協力を得ながら、お寺の常識の枠を超えたイベントを積極的に展開した結果、お寺でも面白い企画であればたくさんの人に集まって頂けると実感することができました。更にそれぞれのイベントをマスコミに採り上げて頂いたお陰で、金剛院の大きなイメージアップにも繋がりました。

また地域や行政との連携を図るために、近隣の12商店街の皆さまと共にNPO法人ライフデザインを設立しました。イベントの主催・共催だけでなく、商店街の空き店舗を有効活用して、「お悩み相談所」を開いたり、「訪問看護ステーション」を開設したりと、積極的に地域と関わる取り組に試行錯誤してきました。


インターネットについては、90年を過ぎた頃からPCを活用した経営管理手法に触れる機会がありました。これまでお寺の経営はすべて紙で、顧客台帳など手書きでした。そこで顧客管理をデータベース化したり経理情報のOA化に着手したり、Windows95が普及し始める頃にはホームページをいち早く製作しました。恐らく国内のお寺の中でホームページを開設した早さはトップクラスだったと思います。当時はひとつひとつが高価な時代ではありましたが、近い将来必ずインターネットが普及し手軽に情報発信できる時代がやってくると信じ、当たり前の投資と考えていました。
 


●新しい取り組み事例―

とにかく地域活性化のためのイベント行事は即実行。
インターネットによる情報発信もスピーディに!!

 

金剛院で開催した主なイベントや行事をご紹介すると、
【公演・講座】イタリア歌曲コンサート、僧侶による馨明(しょうみょう)公演、落語会、邦楽コンサート、二胡コンサート、似顔絵、江戸のマジック「和妻(わずま)」、演劇「曽根崎心中」、講談「弘法大師一代記」、クラシック・ソプラノコンサート、遺言相続セミナー、東洋医学の世界、お寺DEヨガ、インド古典舞踊、十二単着物ショーほか。※本堂を開放してコンサートを行うと100名近く入場できます。神聖なお堂で非常識な使い方というご批判も受けますが、お寺を身近に感じ、理解して頂くための企画として決断したのです。

【著名人による講演】獅子てんや、長嶺ヤス子、ひろさちや、桜井よし子、滝田栄ほか。※地域のコミュニティ活性化のためにご協力いただきました。
【結婚式】お寺DE結婚式 ※実際の結婚式です。
【体験イベント】精進料理を食べる会、写経、写仏、腕輪念珠づくり、幇間芸と三味線を楽しむ会、古布アート作家展
【地域イベント】フリーマーケット、花まつり、手作り作家合同市(約60店)、果物「せいしゅん」リヤカー移動販売、青空市(産直野菜、地元商店街など)、夜市(地元及び近郊商店街・DJイベント)※お寺の常識に捕らわれない企画に地域の方々が多数参加していただいています。
【檀家参拝旅行】長谷寺、成田山、京都&奈良、鎌倉、沖縄、仏像ツアー、1日バスハイク体験。
【現代の寺子屋】無量大成塾(小中学生を対象として考える力をつけることを目指す指導)、子供食堂(親子で食育)

これらのイベントがマスコミに採り上げられた記事はこちらです。
 

▲赤門テラス~なゆた
▲赤門テラス~なゆた

●新しい施設の誕生―
「赤門テラス~なゆた」が5月にOPEN!!
3世代交流のコミュニティ拠点になって欲しい。


今年5月にコミュニティカフェ「赤門テラス~なゆた」をOPENしました。「なゆた」の意味は、仏教用語でサンスクリット語の“nay uta” を音訳したもので極めて大きな数をあらわします。一・十・百・千・万・億・兆・京はご存じでしょうが那由他(なゆた)は、さらにその上にあり、0が72個もついています。
幅広い世代のみなさまとコミュニケーションしながらたくさんの「ありがとう」や「おかげさま」が聞ける場にできればと願っています。

飲食部門は、地元でご縁の深い料理研究家の三宅郁美さんとコラボレーションさせて頂いたので、キッシュやかやの実クッキーなど、グルメでお洒落なメニューがあり、雑誌などにも多数採りあげて頂けました。お陰さまで、最近グループで予約されるお客さまが増えています。2階には多目的スペースもありますので、カフェと併せて積極的にコミュニティの場として活用していただきたいと考えています。

 


▲永代供養墓「密巌霊塔」
▲永代供養墓「密巌霊塔」

●目標―
檀家制度に変わる「密巌霊塔」をスタート。
家族のあり方が変化しお墓ニーズも多様化。

「継承者がいないので、お墓や御供養のことがご心配な方」「ご夫婦やお一人だけのお墓をお探しの方」「ご自分の供養のことで子供に心配を掛けたくないとお考えの方」「ご先祖のお墓が遠方なので、身近な場所に改葬、分骨を御考えの方」「身寄りのないご親族の納骨場所に困っておられる方」・・・などのご相談が多くなり、永代供養墓「密巌霊塔(みつげんれいとう)」を作りました。散骨や遺骨をペンダントにする方もいらっしゃいますが、代が変わってご供養の扱いにお困りの方もいらっしゃるようです。家族のあり方の変化とそのニーズに対応したお墓と供養の多様化は、これからも模索し続けて参ります。
 

500年の歴史を背負いながら、「時代とともに変わらなければいけないもの、変わってはいけないものがある。お寺には古い伝統があるからこそ新しいこともできる」と考えています。あくまでも原点を見据えながら、日々深く考察し行動することが、大切だと思っています。東京オリンピック以降に更に多死社会は進むと想定されますので、来るべき時代に向けて模索を続けて参りたいと思います。

お寺には、「祈り」「学び」「楽しみ」「癒やし」の4つの機能があります。無量大成塾や子ども食堂などの親子支援、さまざまなイベントなどを通して若い人たちやご年配の世代まで含めたワンストップの構想として、地域の中でお寺がハブとなって、さまざまな「ご縁」の場にできたらと願っております。

 


▲週刊女性7.21号「なゆた」の紹介
▲週刊女性7.21号「なゆた」の紹介

▼野々部利弘さんの座右の銘

「還源思(げんげん思いとす)By弘法大師」
  ~常に「原点に思いを寄せて」考えて行動すること。

 

▼金剛院公式サイト http://www.kongohin.or.jp/
▼赤門テラス「なゆた」 http://nayutacafe.com/
▼金剛院ニュース http://www.kongohin.or.jp/newspaper.html

▼野々部利弘さんFB個人ページ https://www.facebook.com/kongohin


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