▼起業家File.028 小栗哲久さん  精神科医・八ヶ岳りんごクリニック 院長



(プロフィール) Dr.オグ八ヶ岳サドベリースクール共同運営

 1963年愛知県生まれ。慶應大学商学部卒業後「自分らしく生きる!!子供たちを救いたい!!」と一念発起、大手食品メーカーの内定を辞退して医者になることを決意。島根医科大学卒業、内科医勤務の後、隠岐の島で離島診療。その後「投薬中心の治療」に疑問を持ち、鹿児島のホスピスで「命」と向き合った末に、代替医療も含めた「自分らしく生きることを応援する医療」を目指す。また子育て問題の意識も高く、'12年同志家族とともに「八ヶ岳サドベリースクール」を開校、その後カウンセリング診療専門「八ヶ岳りんごクリニック」を開業。東京での普及活動も本格化する。 

 


●幼少~学生時代ー

子供の頃は内気な性格で上がり症でもありました。
高校時代の入院体験から「自分がやりたいことをする」と決めた。

 

1963年愛知県名古屋市で姉2人の末っ子長男として生まれました。両親が共働きでしたので、いつも姉2人に遊んでもらっていた記憶があります。小学校時代は、どちらかと言うと内気な性格でしたが、「人のために何かしたい」という気持ちから、児童会役員に立候補したりもしました。選挙演説では極度の緊張から言葉が出なくなり、自分は上がり症の性格であることを知りました(汗。

 

中学では卓球部に所属しましたが、色々な経緯からイジメ的なコトを受ける状況になり、ココロが重い時代が続きました。部活のことを思うだけで辛かったのですが、それでも「簡単にあきらめてはいけない」という思いがあり、結果としてこれがプラス面に働いたようです。生徒会副会長に立候補して当選したのです。他校との交流会では1000人の前でスピーチをしたり、卒業式では生徒代表の答辞を読んだり・・・、相変わらずの上がり症で失敗もありましたが、後半はとても充実した中学時代となりました。

  

高校は地元の公立高校へ進学し、新しい友達も徐々に増えてきた時のこと、突然心臓の病気と診断され、手術前提の緊急検査入院をすることになったのです。死の恐怖をも感じながら過ごした入院生活の中で「五体満足で普通に生活できることの幸せ」を痛感しました。ですから「退院したら絶対に好きなことをする!! 自分が本当にやりたいことを思い残すことなく生きる!!」ことを決めたのです。しかし結末は、なんとお医者さんもビックリするほど病気の疑いが消え失せた検査結果となり、無事に退院することになったのでした(苦笑。

 

大学は慶應大学商学部に進学。英語会(KESS)に入部して英語劇の楽しさに引き込まれ、毎年の4大ドラマコンテストに向けて熱中する生活でした。ここまでは平凡な大学生活、ところが自分でも信じられない行動に出たのは、就職活動中のことでした・・・。

  


●医学への転身ー

内定企業を辞退し、自分探しの旅へ。

「子供達を救いたい」との思いから医師への道を決意!!

 

内定企業の中でも最有力候補の大手食品メーカーでの内定者懇親会に参加していた時、突然「これが自分の進みたかった道なのか?自分らしい生き方なのか?」とココロの中で自問自答が始まり、結局内定を辞退してしまったのです。そうかと言って、自分らしくとは何なのかは判らないままだったのですが、、、(汗。

 

そこから自分探しの旅が始まりました。色々な世界を見てみたかったので、どんなアルバイトでもやりました。そんな中、ある雑誌で「影絵芝居」のアルバイトを見つけました。日本各地の小学校をワゴン車で巡り、体育館の大きなスクリーンで影絵を映す仕事でした。音楽と共に日本の民話を題材にした不思議なお話しやこころに響く物語が展開されます。そんな影絵芝居の一員になった気分で地方巡業したのです。

 

公演の3時間以外は、移動と自由時間です。空いた時間に、読書、史跡巡り、興味のある施設訪問、そしてスタッフの方たちと「生きること」について語り合ううちに、そんなに凄いことをしなくてもいい。立派でなくても、大きなことでなくても、とにかく自分がやりたいことでいい。そんなふうに肩のチカラを抜いて考えられるようになっていました。そして影絵芝居の影響もあって「子どもたちのために、自分ができることをしたい」という思いが強くなっていったのです。

 

ある時本屋さんで、アフリカ難民の写真集を見た時に、ハッと気がつきました。「自分はこういう子供たちのために働きたいのだ」ということを。そして次の瞬間に「それは医者だ!!」と閃いたのです。その時まで医者という選択肢は全くありませんでしたし、絶対無理だと考えていました。しかし「やりたいことが見つかったら、絶対にやる」という覚悟だけは決めていましたので、ここで投げ捨てる訳にはいきませんでした。「やるしかない」と決断したのです。

 


●医師の時代

「人を診る医療、幸せの医療」を目指したい!!
内科医から離島診療医へ、ココロの医療の壁にぶつかる。

 

それから医学部進学の夢を叶えるために、猛勉強を始めました。そして島根医科大学に合格。

当初、私は最先端の医療に興味があり、遺伝子レベルの勉強会などに参加していました。しかし学んでいくうちに、先端医療の流れとは敢えて逆行する「病気を診るのではなく、人を診る医療」に興味を覚えるようになって行きました。

 

医学部を卒業後に、地域の人の生活と関わりながら病気を予防するための「公衆衛生学」の教室の助手になりました。地域の成人病予防の問題を、医学部生の学生実習をサポートしながら学び、併せて内科の臨床研修もすることができました。そんな体験の中から自分自身が実際に、地域の診療所でそこに住む人たちに関わりながら医療をしていきたいという思いが強くなり、隠岐の島で離島診療に従事する決心をしたのです。

 

実際に離島診療をスタートしてみると、私自身の診療力が十分ではないことを痛感しました。離島では色々な患者さん達がいらっしゃいます。風邪から始まって、小児科、内科、外科、皮膚科等々、時には妊婦さんも。必死に診療をこなしてるうちに、1年が過ぎる頃には少し余裕もできてきて仲良くお話しできる患者さんも増えてきたのでした。

ところがある日、カルテを見ると何度も腹痛を繰り返す患者さんで、検査をしても異常がなく、ただ投薬が繰り返されている方がいました。話を聴いているうちに「この人の症状の向こう側に、ココロや人生の問題がある」と気付いたのです。それから「ココロや人生のことを直接診療で見ていく」という考えが、頭から離れなくなりました。そして、それができていない自分を、とても苦しく感じるようになったのです。どうしたら、そうした医療ができるのか悩みました。何をしたらいいのか、医師という目標を見つける前に私が感じた悩みが、どういう医療をするのか、という問題にすり替わって私を苦しめ始めたのです。

 


 
 

●起業のキッカケ、起業の決断ー

ホスピスで「人と向き合う医療」「代替医療」を学んだ末に、
「自分らしく生きることを応援するカウンセリング診療」に辿り着く!!

 

そんな中で出会ったのが「ホスピス」という命と人生に向き合う終末期医療でした。そこでは「死なないための医療」ではなく、「自分らしく生きるための応援をする医療」が行われていると思ったのです。実際に鹿児島のホスピスに勤務するようになると、そこに「患者さん」はいませんでした。治療ではないので「患者さん」から「人」に戻るのです。

 

ホスピスでは不思議なことが色々起こりました。末期で余命は数か月と宣告されていた方が、何年もお元気に過ごしておられたり、それまで親子関係が断絶していたような息子さんが、父親の最後の瞬間に「親父、ありがとう」と伝える姿も目の当りにしました。そこには、まさに生命と人生を感じられる、そんな現場があったと思います。

 

ホスピスで働きながら、同時にココロの勉強を進めていきました。西洋医療に限らず、アロマセラピー、フラワーエッセンス、音楽セラピー、アートセラピーなどの代替医療も勉強していきました。そして人生の最後の場面だけでなく、日常を生きる普通の人が「もっと自分らしく生きるためのクリニック」を開業したいと考えるようになったのです。

 

 
 

●もうひとつの起業ー

子供の不登校がキッカケで「サドベリースクール」開校。
今は子供たちが伸び伸び成長していることが何より嬉しい!!

 

クリニック開業の想いは高まるものの、家庭内では子供のことで悩みの多い時期であったため躊躇していました。4人の兄弟たちは、学校に馴染めずにおりましたが、向き合って話をしたり、学校に付き添いしたり・・・しかしそんなことを繰り返すうちに、子どもが追い詰められていくことに気が付いたのです。自宅にいることを許しましたが、どんどん元気を失っていきました。そんな時に、友人に紹介されたのが、ボストンにある自由な教育をする「サドベリースクール」でした。

 

教科書も、時間割もなく、何をするのかを自分で決めて自由に過ごす学校。その本の終わりに、長野にもサドベリースクールのスタイルに似た学校のことが紹介されていました。そこで、すぐに見学に行き、親子全員で気に入って即転居、転校となりました。

 

ただ比較的自由な学校ではあったものの、真のサドベリースタイルではなかったこともあり、4人の子どもたちは次第に自宅で過ごすようになっていきました。丁度その頃、サドベリースクールの自由な教育スタイルに興味を持つ仲間ができ始めました。そしてお互いに情報交換・交流を深めて意気投合した後に、八ヶ岳に自分たちの手で自由な教育のためのサドベリースクールを創ることにしたのです。八ヶ岳の自然は子どもの個性を伸ばす環境として素晴らしいものでしたし、またこの地域に集まった陶芸、絵画、音楽、木工、農業、自然食など一芸を持った人たちに学ぶ機会も多い場所でもありました。

 

そうして2012年春「八ヶ岳サドベリースクール」を開校しました。まもなく丸2年を迎えますが、まず子供たちが伸び伸びと成長していることが、一番嬉しいことです。まさか私が学校を創るとは考えも及びませんでしたが、妻や同志家族との強い絆ががあったからこそ実現できたのだと思います。

 


●クリニック開業、これからの夢・目標ー
2012年秋、念願の「八ヶ岳りんごクリニック」開業!!
今後はメンタル問題の水際予防のために講演・セミナーを積極展開。

3年ほど子供中心の生活をしてクリニック開業を延期しておりましたが、スクール運営の方の目途が立ってきたので、いよいよ準備段階に入りました。そして2012年秋、「八ヶ岳りんごクリニック」の開業です。自然の力を借りながら、知恵を使って生命や自分らしさを応援する医療のシンボルとして、りんごを使いました。

薬を使わないカウンセリング診療。大自然の中でゆっくりお話を聴いていく、こころや生き方の診療をするクリニックです。現在の生活で問題と感じていること、それについての考え方、そして自分がどうなっていきたいのか、その望む状態のビジョンにフォーカスしていくのです。始めてみると、九州、大阪、東北など遠くから来られる患者さんが多いです。ネットで探したり、最近は紹介で来られる方も増えています。

 

最近特にメンタル不調の方たちが増えてきています。メンタルの問題の増加に歯止めをかけるためにも、より実際的で、日常に役立つメンタルヘルスについて広めていくことが大事だと考えます。多くの人が「わかっている」と思っている、健やかに生きるための「こころ、生き方の考え方、方法」は、いまの時代に、うまく機能していない部分があるのです。

このため、「うつを始めとする、メンタル不調を水際で予防する活動」を、クリニック診療、個人向けの講演や企業向けセミナー、八ヶ岳自然プログラムのチーム活動などを通じて進めていきます。今春から東京と八ヶ岳でセミナー開催をしたり、サドベリースクールの勉強会などを企画しておりますので、皆さんぜひ一度遊びにいらしてください。



 ●小栗哲久さんの座右の銘

 「自分は変われる、人生は良くなる!! by Tetsuhisa」

生きている限り、ひとは変わっていける。それを信頼して、希望を持って生きることが大事だと思っている。よくなるということは、必ずしも、成績、出世、お金、健康、そういうことだけではないと思う。



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