▼起業家File.030 大石英司さん みんな電力株式会社 代表取締役



(プロフィール) ソーシャルエネルギーカンパニー みんな電力㈱創業者

 1969年大阪生まれ。明治学院大学経済学部でマーケティングを専攻。広告制作会社・PCソフト開発会社を経て凸版印刷へ転職。インターネット黎明期に起案したコンテンツ流通事業「Bitway」は、その後「出版デジタル機構」に発展した。エコ電力事業を起案したが社内では難しく独立起業を目指すことに。’11年「みんんな電力株式会社」を設立、小型ソーラー充電器を活用した「エネギャル」キャンペーンを展開。その後、世田谷区との共同プロジェクト、NEDO採択の実証実験プロジェクト「ベランダソーラー」、再生エネルギーの「産地指定購入システム」など、みんなが参加する新しい再生エネルギー事業を推進中。


●幼少~学生時代ー

小中高は野球に没頭!!

大学でマーケティング理論との衝撃的な出会い。

 

1969年に大阪府東大阪市の瓢箪山という処で生まれました。東大阪は中小企業が作った人工衛星「まいど二号」でも有名になりましたが、ものづくりの中小企業が集まった町で、父は機械の設計、母は化粧品のセールスをしており、同居の祖母によくかわいがってもらいました。後に父は独立して会社を経営し、母は化粧品の店舗を構え、今も店に出ています。両親が共働き、次男坊でおばあちゃん子。我が侭放題で、生意気で目立ちたがり屋な、やんちゃな子供だったようです。小学校から高校までは、友達とともに野球と新しいいたずら作りに没頭していました(笑。

 

そんな訳で大学受験は苦労の連続。現役時は受験できるところはなく、1浪、2浪と親にも心配と苦労をかけましたが、最終的に東京の明治学院大学経済学部に入学しました。大学時代も褒められたものではなく、ノビノビ、いや、ダラダラと毎日バイトと遊びに明け暮れ、夜は友達同士、私の家に集まっては朝までゲームしたりドライブしたり、楽しく徘徊したり(笑)してました。

 

そんな私に転機が訪れたのは、大学2年生のとき「11PM」を始めとする数々のテレビ番組をヒットさせ、後にディズニーランドを仕掛けた堀貞一郎さんの「人を集めるーなぜ東京ディズニーランドがはやるのかー」という書籍に出会い「人を集める、人を喜ばせるには方法論があるんだな」という面白さに気付いたのです。当時は、イベントの司会や化粧品のDJ販売、塾の講師、いろんなバイトを掛け持っていましたが、詰まるところ、その成績は「いかに人を集めるか」で決まります。その方法を知っていれば、将来のビジネスで困ることはないだろうと思い、人気タレント、人気番組、流行ってる店がなぜ人気なのか、いろいろと分析するようになりました。人の喜ばせ方を知っていたら、女性にもモテルかも?という邪な期待もありましたが・・・(笑。

 

大学3年生時には、明治学院でマーケティングを担当されていた肥田日出生先生と出会い、「イメージセット理論」という独自の方法を用いて、「人を集める」ことを論理的にアプローチするという研究をしました。自堕落な大学生活ではありましたが、堀先生の書籍、肥田先生、大学時代の仲間たちとの出会いは、私の社会人生活に大きな影響を与えています。

 

当時「一行で多くの人を集める」コピーライティングの世界に関心を抱き、就職は広告制作業界を志望しました。大手広告代理店も受けはしましたが、覚悟が全く足らず、もちろん不合格でした。コピーライターの世界はどちらかといえば、経験者採用が基本で、なかなか就職が決まりませんでしたが、大阪に本社を置く、広告制作会社㈱エトレに採用いただき、社会人生活の一歩を踏み出すことができました。オフィスやトイレの掃除、お茶だし、原稿運び、できることは毎日、一生懸命やってましたし、時間を見つけては気に入ったコピーを書き写したり、コピーコンテストに応募したりしてました。入社時から企業広報紙やチラシなどの取材原稿も書かせていただき、たった10行程度書くのに、図書館でたくさんの情報を調べながら書き、上司に見てもらってはまた書き直しの繰り返し。経営者になった今にして思うと、なんと生産性の低い社員だったんだろうと・・・(苦笑。

 


●サラリーマン時代、転職と起業のキッカケー

2度の転職で凸版印刷へ、インターネット時代の幕開け。

起案した「ビットウェイ」は「電子出版インフラ」に成長!!


社会人2年目を過ぎた頃(’96年)、あるパソコン通信やパソコンソフト開発のベンチャー企業の社長から「新しいネットビジネスを一緒にやらないか?」と熱いメッセージを頂いたのです。まだ日本でインターネットが普及していない時代でしたが、私は小学生の頃からNECのPC-6001などを使っていて、インターネットの将来の可能性を信じていました。また仕事でネットサービスの雑誌広告を経験していたことや、待遇UPの魅力もあり(笑)・・・まだ若かった私は転職することを決断しました。

 

入社後、インターネットサービスプロバイダー(ISP)を始めたり、有名企業や民放キー局のホームページ制作やネットゲームを制作したり、雑誌にも多数掲載されるなど、多くの実績ができましたが、経営はなかなか厳しかったようでした。私も会社を支えるために、営業に、ホームページ制作に、広告制作にと寝る間を惜しんで奔走する毎日でした。資金調達、経営、営業、本当に多くのことを経験できたのは、個人的には大きな自信になりましたが、私の力が至らずに、継続して会社に勤めることができない状況となり、再度、転職することとなりました。

97年凸版印刷へ転職、当時としては日本初の企業モールを運営(楽天も見本に)するなど、インターネットの最先端企業でした。私にとって大企業は初めての経験でカルチャーショックも大きかったですが、過去の幅広い業務経験を生かすことができました。早々に「ネットエージェント事業~ネットコンテンツの販売代理店」を起案したり、複数の新規事業に係わっている中で、課金コンテンツビジネスの時代到来を察知しました。そこで「コンテンツ流通事業~Bitway(ビットウェイ)」を起案、たった2つのコンテンツからのスタートでしたが、立上げ当初のスタッフの頑張りのお陰もあり、その後急成長を遂げ、現在は電子出版事業のデファクトスタンダードとなり「出版デジタル機構」で採用されています。
 
また、「新しい映像クリエーターを発掘するというテーマの無料DVD事業」や「原宿ファッションをテーマにしたファッションイベントの事業化」など、多くの新規事業立ち上げを経験することができました。
  


起業の決断の瞬間、退職・起業

父と最後に交した言葉に背中を押され、

新しいソーシャル・エネルギー・カンパニーを目指して起業!!

 

多くの新規事業に携わる中で、「メディアに拘り過ぎているのでは?」という葛藤がありました。商品やサービスの本質の部分に関わる事業を起案したいという想いが強くなり、’07年頃から構想化したのが「エネルギー事業」のスキームでした。製造業、サービス業、IT事業など、電力はすべての産業の“原料”と言えます。その電力が安く、安全になれば、日本の産業全体を元気にできると思いました。電力事業に対する気付きのキッカケは、ある日電車内で見かけた女性。かばんにソーラーの付いた携帯電話の充電器をぶらさげていたのです。私自身「電力は使うもの」という意識しかなかったのですが、こうやって自分で創って、他人に貸す事もできる。私の携帯電話の電池残量が少なくなっていたこともあり、場合によっては、この人から電力を買う事も出来るのではないか?その瞬間「誰でも電気が作れて、創ったら得をして、生活に使える~ソーラー型充電器」が閃いたのです。ただ起案の段階で、様々な社内の問題からプロジェクトを進めることができなくなりました。

 

一旦は諦めかけましたが、この頃、脳梗塞で入院し、言葉を失っていた父と最後に交した言葉を思い出しました。父はサラリーマンを経て、独立を経験していた関係から、それまでは私に対して大企業にいることを勧めていました。しかし、倒れる前、最後に会ったときに「いざという時は、自分の好きなようにやれ!!」と言葉をかけてくれたのです。私の中で「よし、社内でできなければ、独立起業してでも実現するぞ!!」と決断しました。

 

 

その後暫くして’11年3月11日、歴史的な東北大震災が起こったのです。原子力発電所が全てストップし、全国的な電力供給不足という事態になりました。そして’11年6月に11人の発起人とともに「みんな電力株式会社~ソーシャルエネルギーカンパニー」を設立。手のひらサイズのソーラー充電器を開発し販売を開始、エネともプロジェクト(世界初、みんなで電力を創ってポイントを貯めよう!!)による再生エネルギー啓発キャンペーンを展開したことで、時代の追い風も手伝いマスコミでも数多く採り上げて頂きました。

 

 ▲「ソーラーリュック(限定品)」
 ▲「ソーラーリュック(限定品)」

●起業後のエピソードー

次々と再生エネルギー啓発活動を展開し話題に。
世田谷区とコラボ、産学連携、NEDOからの受託も。

 

「エネとも」サイトでは、「エネドル永峯恵誕生」「エネギャルが世界を救う!エネギャルプロジェクト編成」「エネとも新聞部」「エネとも日誌」「エネともTV」「ドイツのヒット映画『第4の革命』上映会」「太陽光システムの一括見積コーナー」「エネくじ」などのコンテンツを次々とスタートしました。現在では再生エネルギー情報では国内トップクラスの情報掲載量になっています。

 

また都内で再生エネルギーに理解のある世田谷区との連携で様々なプロジェクトが生まれました。「エネギャル×世田谷区イベント」「世田谷発、電力会社を選べる社会へ」・・・など現在では世田谷区ものづくり学校内にも事務所を置き、主要拠点として活動しています。

 

商品は「手のひらソーラー」から「ソーラーリュック(上記写真、限定品)」や地域発電所の建設などに発展し、現在は世田谷区とNEDOの共同実証実験で「ベランダソーラー(超薄型のソーラーフィルムをベランダに設置して発電するシステム)」の開発に取り組んでいます。再生エネルギー業界は東北大震災以来、急速に発展してきており、話題性のあるプロジェクトや様々なコラボレーションへの取り組みが進んでいます。

 


●これからの夢・目標ー
「電力小売事業」への参入、産地表示で選んで使える。
100万人が係わる電力会社を目指したい!!

創業3年を迎え、ようやく本格的な事業展開の時期を迎えようとしています。再生エネルギー事業の核となるスキーム「電力小売事業~産地表示の再生エネルギー販売」です。太陽光や風力でつくられた電力を日本各地から調達して企業に販売します。インターネット上で売買できるシステムを開発し、購入者が電力の由来や産地を選べるようにする仕組みで、今年中にスタートするために準備を進めています。

既に大口顧客に電力を供給できる「特定規模電力事業者」の届出を提出して認定を受けました。’16年には電力小売の完全自由化の予定なので、一般家庭への供給も視野に入れています。また電力小売事業参入にあたって必要な資金を調達するために、三井住友銀行系の投資ファンド「SMBCベンチャーキャピタル」から出資も受けることができました。

今後の夢は、「100万人が関わるみんなの電力」に育てたいと思っています。「ソーシャルエネルギーカンパニー」というコンセプトを創業以来掲げており、その目標数値は100万人(人口の約1%)が係わる電力会社になることです。目標に向けて再生エネルギーやエコの普及啓発活動に努めています。そのための大きな課題はソーラー発電コストの低減化なので、研究開発や技術開発を産学連携で積極的に進めて参ります。
 



▼みんな電力株式会社 http://minden.co.jp/
▼みんな電力FBページ https://www.facebook.com/enetomo
▼エネともブログ  http://enetomo.com/

▼大石英司facebook個人ページ
 https://www.facebook.com/eiji.oishi


発電する巻物「soramaki(ソラマキ)」特設サイト【NEW】→
 http://minden.co.jp/solamaki/


 

 ●大石英司さんの座右の銘

  「利益ではなく、一日何人の幸せを創れたか。仕事の価値はそれで決まる!!」

 

 ○尊敬する人:渋沢栄一 ○最近感動した映画:「最高の人生の見つけ方」 
 ○最近熱中していること:仕事 ○ほっとするひととき:家族とのドライブ
 ○起業に役立った本:「なぜ東京ディズニーランドが流行るのか?!」


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